神戸の住宅街に猪が常駐しとるそうな。
ケガをする住民が増え、セントバーナードが殺され
ニュースで大騒ぎになっている。
ここで山育ち (野生じゃねえぞ) の私が怒っちゃる。
野生の動物をナメるな!!!!!
野生の動物はそれほど恐くはない。
本当に恐いのは、餌付けされた野生の動物なのだ。
餌をやるヤツは 「人間のせいで環境が壊されたから」 とか
「飢えるのを見殺しにはできない」 とか、こぞって言うが
餌をやった動物に自分の家族が殺されても良いんだな?
野生の世界に足を突っ込むというのはそういう事だ。
餌をやったからと言って、動物は感謝はせん。
単に 「餌がある」 としか認識しない。
それどころか、餌がある場所をなわばりとして判断し
そこにいる他の種を排除しようと攻撃し始める。
野生の世界には、異種共存はない。
あるのは捕食関係のみ。
人間と仲良くできるのは、野生を捨てられる種だけだ。
そこがわからんのは、人間が野生ではないからだ。
では、飢えゆく動物をどうすればいいのか?
保護か追い払うしかない。
保護とは、隔離して餌をやり続ける。
動物園と何ら変わらず、動物の自由はないわな。
野生を奪う事になってしまう。
生きていれば良いってか?
だったら税金で全猪を生かしてやりゃいい。
追い払うのは戦うという事。
餌がなけりゃ個体数が減って、悪くすると絶滅。
もう、どっちもどっちだが、他に方法が思いつかん。
環境をどうの言うが、今更それをどうにもできんだろう。
誰かの命や財産をかなり犠牲にせんと、何も変わらんが
その “誰か” に自分がなれるか?
こうやって考えると、とても絶望的な世界に思えるが
それが現実でしかない。
個人個人にできるのは、ゴミの分別とか家庭排水とか、些細な事で
それを地道にやっていくしかない無力感は誰にでもある。
だが、野生動物に餌をやるのは、今まで人間が犯してきた
間違いを繰り返す事と同じである。
壊してきた生態系を更に壊す事になる。
野生世界に侵略してきたからこその環境破壊なのに
またそれをかき回しているんだぞ。
狭い日本、野生との住み分けは不可能に等しい。
誰に泣いてもらう事になるのか、難しいババ抜きだな。
子供の頃、山で動物に出会った。
かなり距離がある向いの斜面の木々の間に
そいつはひとりでたたずんでいた。
しばらく見詰め合ったが、そいつは走り去った。
帰宅した私は親に言った。
「今日、豚みたいなデカい鹿がいた。」
父親は一瞬何の事かわからない顔をした後
ただひとこと 「見間違いだろう」 と言った。
母親は 「この子はバカみたいな事しか言わないのよね」 と流した。
私は理解してくれない両親に、悲しみしかなかった。
大人になって、TVにその鹿が映っているのを見た。
やっと両親の反応の意味がわかった。
当時も、その地方にはいるはずのない生き物だった。
日本カモシカ、私は山の奇跡を見たと信じている。
と、キレイにまとめようとして、ふと思ったが
もし、こいつが日本カモシカだったとして
ついうっかり、テリトリーに迷い込んで襲われたとしたら
(実際には、日本カモシカに攻撃性はないらしいが)
すんげえ、やっかいだよな。
身を守るために非国民になるか、天然記念物に殺されるか
うーん、激しく葛藤するぜ。
(と、そうこう迷っている内に殺される、と)
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