<ひび割れ壷の大体の内容>
インドに水汲み人がいて、壷を2個持ってて
1個は完璧だが、もう1個はひびが入っていた。
だから、いつもご主人の家に着く頃には
ひび割れ壷の中の水は半分に減っている。
ひび割れ壷は、それを恥じて水汲み人にグチグチ言う。
水汲み人は、ひび割れ壷が通る道に花の種を植え
おめえが水を漏らしてくれてるお陰で
花が咲いて、それをご主人さまの家に飾れて
一石二鳥だと言ったとさ。
(注:正しい話は、ググればすぐ出るので
それを読んだ方が良いに決まっとる
これを読んで、真っ先に浮かんだ言葉が
「立ってるものは親でも使え」 だった。
何でこの言葉が浮かんだのかはわからん。
てか、壷は水汲み人の持ち込みか?
だだ漏れじゃなく、微妙な水漏れで
だったら直さなくていいや、という
ガンジスの流れのような雄大なインド風味の感覚満載である。
ご主人さまとやらは、壷2個分の賃金を払っているだろうに
水汲み人は1.5個分の水でそれを貰っとるんだな。
水汲み人がいるぐらいだから、庭師もいるとみた。
庭師の丹精込めた植物を差し置いて
水のみで育った花を飾るなど、庭師の立場まるでなし。
正当な賃金に対する正当な労働を放棄しとるとしか思えん。
この話でご満悦なのは、「いい事をひらめいた!」 という
水汲み人だけで、ご主人さまと庭師
(庭師は私の想像上の登場人物だが) は損をしているし
一番やるかたないのはまともな方の壷。
ちゃんと本来の仕事をこなしているのに。
何より、ひび割れ壷は言いたかろう。
「そんないらん工夫より、とっとと私を修理せえ!」 と。
・・・と、これは茶化した意見で
この話の教訓は、バカとハサミは使いよう
いや、違った、どんなヤツにも利点はある、って事だ。
にしては、題材が適してないと思う。
すげえ突っ込みたくなる設定だろうー。
まともな壷を出すのが良くないよな。
ちゃんとやってるヤツはどうなる、ってなるもんな。
こういう教訓を教えたかったら
ものすげえアホウで、何もひとつまともにできないのに
一流の芸術家になった、とかにしときゃいいのに。
(・・・これもあまり的確ではないと思うが
ふと、故岡本太郎の話を思い出したんだ)
兄が東京にいた頃、岡本太郎が持ってる草野球チームに入ってて
兄はそこでスライディングで足を骨折したりして
楽しく野球をやってたみたいなんだが
「岡本太郎ってどんな人?」 の私の質問に
ただひとこと 「・・・ボケてる」 と、答えるだけだった。
「それは年齢のせい?」 の問いにも 「わからん」 で
普通の人なら、ボケは年齢のせいで済まされるのに
芸術家ってのは、そういうもんかもなあ、と
岡本太郎がデザインしたユニホームの直筆サインが
小刻みに満遍なく震えてるのを見つつ思ったものだ。
人間ってのは、何かが欠けていても、それは致命傷にはならない。
逆も言える。
何かが飛び抜けていても、それは幸福の約束じゃない。
(いや、岡本太郎が不幸だったとか
○○だったとかいう意味じゃないぞ?)
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