今回の親戚一同の攻撃は凄かった。
葬式や49日は、一応 “親を失った子” ということで
手加減されてたんだなあ、と、つくづく実感したぜ。
法要後の飯食いが、真昼間っからフル懐石で
もう、おまえらはどこぞの王侯貴族かと暴れたくなるぐらい
たっぷり2時間掛けてタラタラ食事をしたわけなんだが
その2時間の間、親戚の女性8人全員から
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと
説教・お小言をくらいまくった。
説教の内容は、主軸が “ちゃんとした食生活”。
あらたに料理が出てくる度に、残す私に
全員が一枚岩となって、それを言う。
残す私が悪いんだが、食えねえっつの!
熊本というところは、食材は美味いが、調理がヘタで
ゲロマズな飯屋ばっかりなんだが
そこの飯屋は、熊本にしては美味い。
だが、濃いいんだよ!
自然とか無添加にこだわるナチュラル志向の店らしいが
私の肝臓への攻撃かと思うほど、味が濃いいいいいい。
ま、私の味覚が幼稚なんで、複雑な味のハーモニーとやらが
理解できないゆえのイチャモンかも知れん。
私は説教されても反論しない。
説教する方が絶対に正しいと思っているからだ。
そりゃ、的外れやいらん世話な説教もあるが
それでも必ず、聞く価値があると思う。
皆、美しい言葉だけ発していたいだろうに
説教など、する方も気分が良いもんじゃないと思う。
なのに、あえて苦言を呈してくれるヤツに感謝をせんでどうする。
中には、腹立ちまぎれの文句もあるだろうが
怒らせたこっちが悪い。
素直に聞くのが筋だろう。
という信念の元に、説教をデヘデヘと聞いていた私だが
その夜は激しく落ち込んだ。
自分が何の存在価値もない、生きていても意味がない
ド腐れアホウに思えて、しょうがなくなったのだ。
存在価値など必要ない、生きてるだけでおったまげー!
というのが、私のスタンスだが
さすがに2時間も集団説教に遭ったら
それはそれは、くじける。
悶々と悩みつつニュースを見てて、ふと思ったのが
これが雅子様状態か!!!!! である。
いや、よくは知らんのだが、こういう感じなのを
人格否定されたと感じたのかな、と。
いかん! これじゃ私も適応障害になる! と
慌てて自己正当化を図ることにした。
大体、私は (それほど) 人に迷惑は掛けてねえだろう。
人を殺して放火とかしていないし
妙な宗教にはまって健康茶とか売ってねえし
トルエンはおろか、違法ドラッグもした事はねえぞ。
あああああああああああああああああああああああ
だから何だってんだ!
違法行為をしないってのは、基本中の基本じゃん。
そんなんでいばれるかい!
やべえ、今回は立ち直るのに時間が掛かるかも、と危惧してたら
なんと、来年3回忌だと!
何で? 来年は2年目じゃん、と、異議を唱えたけど
そういうもんなんだってさ。
はあ・・・立ち直っても、また来年叩かれるわけか。
でも、「知ったこっちゃない」 と、無視されるより、ずっとマシだな。
何と言っても、ほのかに自業自得だし。
今回の帰省で、私が何故九州が嫌いなのかがわかった。
和を尊ぶ真面目な民族性が、私を許してくれないからだ。
てか、世界中、私を認めてくれる場所などない気もせんでもないが
とりあえず、関西は自由な人が多いので (物は言いようだが)
私もそれに紛れて、ラクに生きれる。
私は、常に自分の感覚や考えに疑問を持ち
それを進歩の原動力としてきたわけだが
今は自分を否定してしまっている。
こんなんじゃ、成長するわけがない。
せっかく説教してくれた人の気持ちを無にする反応で、実に情けない。
自分が何に傷ついているのかもわからない。
ほんと、バカは始末に負えんな、と、自分でも思う。
と、上のは帰宅直後に書いた文章だが
数日経った今現在はどういう感覚かというと
何に傷ついたのかもボロボロ忘れてしまっていて
やれやれ、物忘れの激しいバカは幸せだな、と。
というか、あのな・・・・・・・・・
復帰してHPを見た時に
皆がいてくれて、ほんっっっっっと救われたんだ。
戦場から帰ってきたら、家族が待っててくれたみたいな気分。
・・・・・ありがと
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