激しく落ち込んだわけだが、負の感情は何の解決にもならない。
このままだと、やっぱりポトは辛いままである。
などと奮起して、昨日一日じっくり考えた。
そこで思ったのが、「ポトの意味は?」 である。
ポトって例えると、公園とかでやってる
青空将棋とか囲碁みたいなもんじゃないんだろうか。
誰でもヒョコっと行って、気軽に勝負する。
当たり前の事だが、娯楽なんだよな。
では、私がポトが辛い理由は?
これはふたつあった。
1. ヘタである。
ヘタだと何故悪いのか?
それはチームプレイだからである。
仲間の足を引っ張るのがとても辛いのである。
自分の快楽のために、人に迷惑を掛けるのはいいんだが
大して意味のないところで迷惑を掛けるのはイヤ!
ってのが、私の信条である。 (とんでもねえー、あはは)
私の腕は多分上達しない。
冷静に振り返ると、私の弾の当たり具合は
見事にメンタルと連動している。
つまり、調子こいてる時は当たりもよく
一生懸命やってる時は、まるで当たらない。
しかも精神的に未熟なせいか安定せず、コロコロ気分が変わる。
気まぐれな性格じゃあないんだが・・・・・。
これの解決方法は簡単。
個人戦にすりゃいいだけだ。
はい、いっちょあがりーーーーー。
2.知らない人への暴言を迷う
・・・これさ、「言っちゃいけない」 ってのが常識だよな。
でも、私は言いたい放題してないと楽しくないんだ。
(こういうヤツは必ず長生きする・・・)
ここに来るヤツは、もう私を知ってるし
私を嫌いなヤツは見ないでいいという選択ができる。
だが、ポトは違う。
部屋の他のヤツと遊びたいので来るヤツもいて
私みたいなんを不愉快に思うかも知れない。
そういうヤツを事故っぽく傷つけてしまう可能性もあるのだ。
これが一番恐いんだよな。
ムッときたら、私に直で文句を言ってくれたら
私もそれについて対応できる。
ケンカは仲良くなるための手段にしときゃいいじゃないか。
でも、そういう感覚じゃないヤツもいて
私もケンカの仕方を間違えて、仲を壊してしまう事もある。
無言で消えられると 「あああ、待って、チャンスワンモアプリーズーーー」
とかも言えないので、とても辛い。
(だが、チャンスを与えられても活かせないのが、わ・た・し)
お互いに傷つけ合うのは避けたいのだが
自分は空気を読めないという自覚があるので
無意味な不安だけを抱える事になる。
で、考えた。
私の存在の意味は?
「ポトを一緒にしよう」 ってのは、この “私” に言ってるんだよな?
ようするに、このままの私でいいんだよな?
失敗してパニくってアワアワしている私なんか見たくねえよな?
(ある意味、見てて楽しいかも知れんが)
「よろしく」 とか 「お疲れ様」 とか
型通りのセリフしか言ってない私なんか見たくねえよな?
バカかアホかと罵倒して、ひとりで調子こいてる
何様な私全開でいいんだよな?
だったら解決策はひとつ。
部屋名を 「暴言ドヘタ個人戦」 にすりゃいいんだ。
この部屋名だと、1と2の私の問題はほぼ解決じゃねえか?
何か他に問題とか、または案とかあるか?
自分では 「おお! 完璧だ!」 と、確信してても
いつもスカスカ抜けてる場合が多いんだよなあ。
今も自分の解決策のすげえ完璧さに、うっとりしているので
絶対に何か忘れてる!!!
だから、指導、進言、意見を頼む。
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