ご想像通り、私はしつけがなっていない。
それは食い方にも表れている。
いや、テーブルマナーとかじゃなく
もっと根本的な、食い物を大事にするという
感謝の心がない食い方をするのである。
一体、親は何をしていたのかというと
すべてを凝縮した逸話がある。
私が中学生の頃のある晩、珍しく魚が夕食に出た。
私は魚というのは、白身だけを食うものだと思っていたので
皮を剥ぎ、白い部分だけをつついていた。
すると父親が母親に
「おまえは飯の食い方もしつけてないのか」 と、怒った。
母親はどうしたか?
それ以来、ややこしい食い方をする料理は
一切、食卓に並べなくなったのだ。
私の子供時代の食事は毎晩 “ご飯とたくあん” で
治療を要するほどの栄養失調になって
「うちは子供に飯も食わせられんほど貧乏か!」 と
父親が怒鳴ってからは、毎晩、焼肉かステーキとご飯。
他に一切付け合せはなし。
私は小学校から中学校卒業まで、毎晩牛肉と白米のみを食い
他の栄養は給食で、かろうじて補給していたのである。
子供の事は母親にまかせきりの父親と
事なかれ主義の母親の元に育つと、こういう人間になる。
牛肉の味見には自信があるがな。
と、すべてを親のせいにしている私だが
自己責任っちゅう単語もちゃんと知っている。
箸の握り方は苦労して苦労して、指をつらせつつ直した。
(いまだに正しい握り方ができていないが)
テーブルマナーは、本で学んでいたので知っている。
(その本がえれえ古い本で、フランス料理の食い方に
「バナナ1本丸ごと食う方法」 とか
「リンゴ1個丸ごと出てきたら」 とか書いてあって
こんなザツな食い物を出す料理なんて絶対食わねえ!
と、子供心に決心した次第だが
あれはどういう状況でも対応できるように
という例だったのだろう。)
マナーはまだいいのだが、問題は料理である。
魚の顔とか皮とか気持ち悪いし
身の茶色い部分も一体何なんだか恐くて食えねえ。
ケンタッキーフライドチキンも、血管みたいなんとかあって
すげえ解体をしつつ、オドオドと食い
食いたくない部分を積み上げて残すので
一緒に食っている友人からは
「おまえの、食う前より量が増えてねえか?
どこを食ってるんだ?」 と、非難されるし
とにかく、生き物丸ごとっぽいのがダメなのである。
と、書いててふと思ったが、それはちょっと違うかも。
カップヌードルの食い方もおかしい。
私の理想は、ぬるま湯を入れてボリボリ食いたいのだが
お湯の温度の調整が難しいので、とりあえず熱湯をいれてすぐに食う。
硬い麺が好きなのだ。
で、食いながら、具を全部捨てる。
どうせ食わないのだからと、一度具を全部最初に捨てたら
味がえれえ薄くなったので、具はダシだと理解してる。
何故、具を食わないのかというと、何なのかわからないからだ。
肉とか言い張ってても、真っ当な肉に見えんぞ。
つまり私は、何なのかが丸わかりな食い物と
何なのかがわからない食い物はダメみたいである。
○ク○ナ○ドも、そういう意味ではビクビクしつつ食う。
牛肉のエキスパートの私から言わせると
今でこそ牛肉の味がするが、昔はほんと、何なんだかわからなかったんだぞ。
少なくとも牛はほとんど入ってなかったと断言できる。
あれじゃあ、ミミズの肉だという噂が出ても不思議ではねえぞ。
またまた余談だが、友人の旦那さんが昔、○ク○ナ○ドの工場に
食材を配送する仕事をしていた。
その時に冷凍車で運んでいたのが、デカい馬肉の塊だったそうで
「何に使うんだ???」 と、不思議がっていた。
その時の○ク○ナ○ドも 「牛100%」 をうたっていたし
てか、牛より馬肉の方が高いので、代用する意味がないんだよなあ。
何かのダシ用か? これは今でも謎な話である。
心当たりのあるヤツいるか?
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