やる気を出す呪文

風邪を引いてしもうた。

何か寒いじゃん。
まだコタツを出してるんだぜ。
この時期にありえねえーーーーー。

私の引く風邪は、症状がほとんどなく
1~2週間ぐらいダラダラと微熱が続くパターンである。

高熱など数年に1度ぐらいしか出さないのに、微熱はしょっちゅう。
丈夫なんか病弱なんか、よくわからん体質である。

元々の体温が低いので、37度も出たら結構きついんだが
お医者さんに行ったら、微熱は下げようがないんだとさ。
風邪薬も、諸症状を “改善” させるための補助なんで
症状が軽いなら、飲んでも意味なし、と。

ここまで言われちゃ、放置しかねえよな。

という事で、フツーに暮らすんだが
微熱っていうのは、RPGでいうところの毒みたいなもんで
ジワジワと気力体力が削られていくのだ。
ああ、何かやる気出ねえーーー、ってなる。

そこで最近あみ出した呪文がある。

かあちゃんが死んだ時は、即行で納得できたんだが
今になって思うと、「親はいつかは死ぬ」 と
常々覚悟していた割には、心のどっかでビックリしてるのだ。
「えええ? 本当に死んだんか?」 って感じ。

これをつきつめると、“寂しい” とか “悲しい” になるだろうから
あえて深くは考えないのだが、これは自分にも当てはまる。

誰でも自分が永遠に生き続けるとは思ってはいない。
でも “死ぬ” って言葉の意味はわかっていても
そこに現実味がまったくないのである。

自分もいつかは死ぬだろうけど、それは今の自分に関係ない
遠い未来の話、って位置付けであろう。

もし、自分に残された時間に限りがあると本当に実感できたら
何でもない日常の一瞬一瞬が、すげえ大切な物になる。

呪文 「まあまあ、明日死ぬかもしれないんだし」

こう思って、よっこらしょ、と腰を上げるのだ。
「明日死ぬかもしれんから、今やっとこう」 だ。

世の中、事件事故で人が毎日死んでいる。
自分がいつその立場になるかもわからんのだから
この呪文、まったく現実味なしじゃないだろ?

こういう呪文は、マイナス方向に使ってはいけない。
「明日死ぬかもしれないから、飯テキトーでいいや」 じゃなく
「明日 (略)、うめえ物でも作って食おう」

「明日 (略)、掃除はいいや」 じゃなく
「明日 (略)、立つ鳥跡を濁さずでキレイにしとこう」

だらける言い訳なんか、苦労せんでもいくらでも考え付くんだから
やる気を出せる要素のある言葉を流用したらもったいねえだろ。

言われてするより言われる前にした方が、人生ラクだし
本当にしんどい時は、思いっくそ泣きつきゃいいんだし
「おっしゃあ! やるぞ!」 と 「ああもうダメ・・・」 の
メリハリがついてたら、周囲のヤツもわかりやすくて
物事がスムースに動くような気がする。

私は見て瞬時にわかるように、病弱な深窓の令嬢なので
「もうダメ~」 の方が多いんだが、たまに動く時は
「ほらほら見て見て、やってるよおー!」 っていう
アピールが激しいから、何とかしのげている。

そういや、この前、いいリアクションを発見した。

コーヒー用のミルクのフタが開かず
イライラしつつ、カリカリカリカリカリ爪で剥がそうとしてたが
ブチッときて、「ああ、もういらね!」 と
テーブルにバンとミルクを叩き付けたら
友人がびっくりして 「何っっ?」 と、激しく怯えたので
長州小力のように、ニカッと笑って、人差し指をピコピコして
「切れてないっすよお~」 と、言った。

途端、意外なぐらいに大爆笑された。

ほんとは切れてたよ!!!!!
まったく、どういった不良品だよ、すんなり開けよ!!

こういう事が多い私には、長州小力のギャグはとても役立つと判明。

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