嘘。 これについて、最近考えが変わってきた。
以前は 「嘘は良くない」 という小学校の道徳教育が効いてて
自分は絶対に嘘は付かない、と、思っていた。
しかし、よおおおおおおく考えてみたら
無意識に付いているのである。
「嘘を付かない」 と言ってる事自体、嘘だったわけで、とほほ。
しかし、嘘の種類によっては
あながち、悪い一辺倒じゃないような気がする。
日常での嘘を付く相手は、自分にとって大事な人が多いだろ?
嫌われたくないっていう健気な気持ちじゃないのか?
私の場合の嘘は、叔母に 「ちゃんとしてる?」 と聞かれ
ちゃんとしてねえのに 「してる」 と答えるし
昼過ぎまでグダグダ寝ている時に、兄から電話があって
「寝てたか?」 と聞かれ 「寝てない」 とか。
もうほんと、すげえくだらん保身で
普段はそういうのはまったく気にしてないんだが
親族にだけは、何故か咄嗟に嘘を言ってしまうのである。
これは単純に、普段から大きな説教をくらいまくっているので
せめて小言は言われたくない、というあがきであろう。
バレバレなのに、わけわからん力技な嘘で
言い逃れをしまくる彼氏や夫がいるが
多分それと同じ心理なんだろうなあ。
悪い事を告白して懺悔するのは、一見正しく思えるが
言った側は、言ってスッキリ、と
重荷を降ろせて、そりゃよかろうが
言われた相手は、その罪を受け入れて
場合によっては許してあげなければならず
すんげえ精神的に苦痛を強いられるので
「わざわざ言うな! 一生隠してろ!」 って心境になる。
この前TVで、夫が浮気をして、夫自身がその秘密に耐えられず
妻に告白して許しを請って、妻は表面上は許したが
本当はどうしても許せず、自分も浮気をして苦しむ、という
ドツボ転落なドラマがあったが、それが良い例だ。
夫が反省してて、二度と同じ過ちを繰り返さないのなら
妻は一生隠しててほしかったんだろう。
その葛藤が、妻を同罪に走らせたのだ。
(私なら一生、下僕決定でこきつかってやるがな)
男女関係系の大抵の秘密は、バレた途端に嘘に変化する。
この場合の問題は、その大きさや密度ではなく
それを隠し通せるかで決まる。
罪をひとり密かに、一生背負って苦しむのも
罰のひとつだと思って、耐えてのたうち回っとれ。
普通の状況下での嘘は、悪意がない嘘が多いと思うが
犯罪関連の嘘は、理解し難い。
話題の画家の盗作疑惑も、日本人とイタリア人の画家の
(和田なんたらとアルベルト・スギだっけ?)
どっちかが嘘を付いているんだろ?
絵を見ると、もはや “盗作” などと手ぬるいレベルではなく
“模写” や “贋作” の域に達しているぞ。
どっちも画家として上手くて
普通に描いても評価されるはずなのに
何故モチーフや構図を真似なければならないのかがわからん。
というか、プロの画家を盗作してどうするつもりだったんだ?
バレないとでも思っていたんだろうか?
ここまで騒がれて、なお嘘を付くなど、あとどうすんだろう?
奈良の長男が母親弟妹を殺して放火した事件も
成績の事で父親に嘘を付いて
バレたくないからやっちゃった、って
おめえ、どっちがより怒られると思ってるんだ?
てか、あれ、父親を殺すのが一番早くねえかあ?
逆らえないヤツには嘘で逃げて、弱いヤツに危害を加えるって
こいつ、未成年だが、根本的に犯罪者体質のような気がするぞ。
嘘を繰り返していると、いつしか自分もその嘘に取り込まれて
脳内で大嘘ワールドが展開し始めるらしい。
これはすなわち “本当の自分” がなくなってしまう事。
人を騙していると同時に、自分をも騙してしまっている。
これで、法に触れるとか、人を傷つけていない限り
良いのか悪いのかは、私には判断できん。
“特殊な感覚の持ち主” としか思えないからで
自分が正義の基本形の自信はないしな。
色んな種類の嘘があると書いたが、総合的に考えると
嘘とは、反省とセットで使用できるかが
善悪の分かれ目になってくるだろう。
というか、絶対にバレない技術と根性を持っていない限り
嘘を付かない方が
いや、嘘を付くハメになるような、いらん事をせん方が
結局はラクだし、自分のためになるんだよな。
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