私は死刑制度には、断固反対である。
何故ならば、これは国家による殺人
えーと、言わば “仇討ち代行” みたいなもん?
何があっても、人は人を殺してはいけない。
とか書くと、えれえ人権擁護派に思えるかも知れんが
まあ、読んでくれ。 “私” だから。
無期懲役はおいといていい。
まずは、更正システムを、もっと効果的なものに整備し直す。
それでちゃんと更正できたヤツは、釈放や恩赦があっていいと思う。
だが、それができないヤツには
それに終身刑制度を追加するべきである。
恩赦なしで、一生、塀の外に出られないやつ。
でも、凶悪犯罪者を国民の税金で養うのは嫌なので
粗食プラス強制重労働で、自分が生きるだけの金は稼いで貰う。
娯楽も最低限の暮らしも必要ない。
権利ってのは、義務を果たしているヤツのための物だ。
これだけでもひどい意見だが、更に鬼提案がある。
もういっちょ、終身刑の上に “極刑” をおいてほしい。
女子高生ドラム缶詰め殺人とか、妊婦腹切り裂き事件とか
人智を超える鬼畜どもに与える処罰である。
まず、こいつらには健康に気を配った生活をさせる。
そして生存には支障のない臓器を移植用に摘出する。
角膜とか腎臓とか2つあるし、肝臓の一部もいいだろう。
移植費用の黒字は国庫に入れるか、被害者救済にあてる。
次に、人体実験のサンプルになってもらう。
わざと潰瘍を起こさせて、服薬の効果を調べるとか
皮膚を焼けどさせて、塗り薬の効果を調べるとか
通常、動物でやってる研究の実験台にするのである。
医療技術の進歩にも貢献できて
ただ殺すより、ずっと有益だろう。
もし死んじゃったら、即、全臓器摘出で研究や移植。
ようするに、私の死刑反対は
「殺さなきゃいい」 というだけの考えなのだ。
すんげえ非人道的な意見だろ。
一瞬で殺す死刑の方がよっぽど親切だよな。
だけど、屠殺した牛豚を残らず食うようなもんだぜ。
全身を世のため、人のために使われる。
本人はまったく嬉しくないだろうけどな。
これを考えると、牛豚もどう食われようが
ただ殺されるのと、何の違いもないのかもな。
私の案を肯定できるいい例が、宅間守の死刑執行。
あれは、あいつの自殺の手伝いをしたようなもんだ。
死にたいヤツを一瞬で殺して、それで終わりじゃん。
被害者の遺族はそれでいいんか?
よくねえだろ。 死刑しか極刑の選択がなかっただけだ。
もっと突っ込めば、ああいう極悪な加害者が更正して
「ごめんなさい」 で、真っ当に生活していった場合
周囲関係者は良かった良かった、だろうが
それで遺族たちは救われるんか?
殺された家族は戻ってはこない。
事件後、自分たちの人生はめちゃくちゃである。
「何でうちの親を子供を殺す前に、それに気付いてくれなかった?」
「言われて気付くんなら、あんな事件を起こす前に
何故、少しでも考えてくれなかった?」
もう、まともになれるんなら
最初から本人や周囲がちゃんとせえよ! って言いたいよな。
遺族たちには、恨みつらみや後悔で生きていってほしくはないが
こればかりは、当事者の気持ち次第で
多分、多くの犯罪被害者たちは、辛い日々を過ごしていくんだろう。
加害者がとことん苦しんで、世間の役に立って死ぬのなら
少しは気が晴れるんじゃないのだろうか。
山口母子殺害事件の加害者は
今は死刑制度しかないから、しょうがない。
万が一、無期懲役にでもなって刑期を終える日がきたら
被害者の夫がどんな事をしても殺すだろう。
残された夫に、そんな道を歩んでほしくない。
私も昔は “人道的” に、死刑反対論者だった。
だが、女子高生コンクリ詰め殺人事件や
山口母子殺害事件の加害者の手紙や
数多くの想像もできない惨殺事件を見てきて、考えが変わった。
明らかに、犯罪の傾向が変わってきている。
昔の法整備や罰則制度、“信じる心” のまま
対応するのが、本当に最善なんだろうか?
人は生きていくためには、自分を正当化しなければやってられない。
たとえ一時は反省したように見えても
何年か後には、その時の気持ちを忘れて
「あの時は、自分の周囲の環境が悪かったから」
「若気の至り」 などと思う事もある。
それが些細な失敗や、単なるヤンチャだったら、それもアリだが
強姦殺人や子供殺しなどを犯したようなヤツは
どんな自己正当化も、絶対に許せない。
それでなくとも、凄惨な犯罪を起こすヤツは
通常の感覚では理解できない神経の持ち主のようだから
“一般人” と、同じレベルで考慮してあげても
向こうには通用しないんじゃないのか?
と、最近は思うようになってきた。
幼女を強姦して殺して
「悪魔が命じた」 とか、のうのうと言うヤツ。
おっしゃ、わかった。
おめえの主張を信じよう。
だが、おめえは魔界の住人扱いだ。
人権は人間のためにあるものだから、おめえには適用しねえ。
悪魔とともに滅びてしまえ!
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