<毎度おなじみの前置き。
私は、敬語も使えん日本語が不自由な激バカ者ですが
不敬の気持ちはありませんので、何とぞご容赦ください>
昭和天皇に戦争責任はあるか?
昭和天皇大好きの私だが、この答は 「YES」 である。
明治維新によって、統治権は徳川幕府から朝廷に返上された。
これが “王政復古” である。
簡単に言えば、日本は王統治国になったわけだ。
終戦以降は、「君臨せども統治せず」 のイギリスに似た
立憲君主制 (国のトップでも、法によって制限を受ける)
みたいなシステムになった。
昭和天皇は平和主義者であった。
研究対象に生物学を選んだのは
「誰も傷つけず、何の思想にも関係がないから」
というのが理由だったらしい。
話ベタで、「あ、そう」 が口癖。
自分の意見を公で言う事を嫌い、感情も表現する事はなかった。
昭和天皇が自分の意思で行動したのは、生涯で二度だけだという。
2.26事件と、終戦の時のマッカーサー訪問。
2.26事件とは、2月26日に起きたクーデターの事。
天皇を中心とした政治を望む、陸軍将校らが
大臣らを殺害し、“昭和維新” を訴えた事件である。
これを聞いた昭和天皇は大激怒をした。
「朕の臣下を殺すとは何事だ!
朕自らが兵を引き、成敗する!」
普段、感情をあらわにしない昭和天皇の激怒に
反乱軍の処罰は非常に厳しいものとなった。
昭和天皇は、「自分が怒ったために、若い者を死刑にしてしまった
彼らもまた国を想う民であったのに」
と、この時の事をずっと悔いていたという。
これ以来、昭和天皇は以前にも増して
自分の言動に気を遣うようになった。
こういうお方だったので、戦争には反対であった。
御前会議では常に 「和平の道はないのか」 と質問した。
戦時中は、日本の勝利を願ったが
それは戦争終結の望みであったと思われる。
「朕の名を呼びながら、民が皆死んでいく」
と、つぶやいた事もあったと、側近が語っていた。
昭和天皇が崩御された時、涙が出た。
一平民が畏れ多い事かも知れないけど
このお方の人生は、とても辛いものだったと思えるからだ。
自分の名とともに万歳を叫ばれて
皆が死んでいくなど、誰が耐えられるだろう。
トップとヒラでは感覚も違うだろうが
それでも辛いものは辛いであろう。
終戦時に昭和天皇は内心、自決を望んでいたという。
歴史上、負けておめおめと生き延びるなどできない。
だが敗戦後の混乱した日本で
天皇がそれをしたら、益々国民が希望を失う。
だから、あえて生き恥を晒す事に甘んじた。
これでも昭和天皇に戦争責任があると思うか?
あると思う。
それは、天皇が国の頂点だからだ。
この “戦争責任” というのは、他国にではなく
日本の国民に対してだけである。
他国に対しての戦争責任と言うのなら、日本国民全員がある。
よって私は、“戦犯” なども認めない。
天皇は統治はしてなくとも、君臨をしている。
政府が天皇の名において決定した事項でも
名を使われる側にも、責任は必ずある。
何かあった場合に、責任を取るのがトップの役目である。
それは天皇ご自身が、重々承知していた事だと思う。
事実、昭和天皇はそれを果たそうとした。
だから国民は戦後も、天皇を敬愛したのである。
たとえ今、何かあったとしても、私は今上天皇に責任を問う。
そのための皇室システムであり
皇族はそういう教育を受けて、覚悟をしていると信じている。
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