近代史シリーズを書くのに、思いがけない2大大変があった。
ひとつ目は、書いていて、自分の価値観と
真っ向から向き合わざるを得なかった事だ。
これって、むちゃくちゃ拷問だよなー。
「これで正しいんだろうか?」 と、何度も迷って
あげくが 「私って、ドバカ?」 など、落ち込まされる。
アップした後も、消そうか悩んだり。
(こんな事を書くと、えれえ繊細っぽく見えるだろうが
そうじゃなく、単なる腰抜けだからな?)
これをどう乗り越えたのかと言うと
「しょせん “私” だしー、てへへ」 という開き直り。
女って、ほんとこういうとこ図々しいぜ。
もいっちょの辛さは、事実の確認作業。
大昔に読んだ本の内容など、ほとんど覚えてなく
断片的なキーワードで、えれえ遠回りな検索をし
自分の思い込みによる間違いはないかを、チェックしつつ
年表を見ながら、要点だけを書き出していく。
こうやって、改めて確認し直すと
明治維新から太平洋戦争終戦まで
「おまえら一体どんだけ戦争してんだよ!!」 と
暴れ出したくなるほど、膨大なバトルの数々。
すまん、チャーチルじゃねえが、ナメていた・・・。
“近代史5” や “愛国心” のとこの、感情むき出し論は
この時の怒りの八つ当たりもある。
年表を開いて、ズラッと並ぶ事変に
「ああー? 今度は誰と誰がもめてんだよー?」 と
読んでいて、ほんっっっとイライラしてくるんだ。
この時代って世界中キ○ガイだらけか? と、呆れたが
今の世界も、あちこちで実際に戦争をしているので
危うさ的には、そう違いはないのかも知れない。
さて、こんぐらいの作業で、何が大変だったかと力説するには
ちょっと恥ずかしいカミングアウトになってしまう。
実は私は文字は読めるのだが、文章が読めないのである。
短文は読めるのだが、行と行の隙間がない長文になると
脳が文字としてではなく、ひとつの画像として捉えるのか
おそらく、文字を “見て” いるだけになるような気がする。
1.「あいうえおかきくけこさしすせそたちつてと
なにぬねのはひふへほまみむめも」
2.「あいうえお、かきくけこ、さしすせそ、たちつてと
なにぬねの、はひふへほ、まみむめも」
2は読めるが、1は無理。
自分が書いてる “潜伏” も、はっきり言って読みにくいんだが
行間の設定ができないので、途方に暮れている。
ブログはぷらちのお陰で、快適に読めるよ、ありがとうーーー。
情報収集が趣味なので本はよく読むが
その読み方が上手くできない。
見開き2ページを真横に読み、何が書いてあるのかがわからず
もう一度ゆっくりと、文字を辿って読もうとするが
どうしても真横に読んでしまう。
これを数度繰り返して
内容が脳のどこかに入ったかな、と思ったら
次のページをめくる、といった感じ。
ページによっては、かなりの回数が掛かる。
これに掛かる時間は、ごくわずかなので
ぱっと見、周囲には普通に読んでいるように見える。
これを人に言った事はない。
まるっきり普通だと思っていたからである。
人に目の動きを指摘されて、初めて気付いた。
私の文章は、不自然なほど多くの句読点、改行、段空け、空間
ひらがなカタカナ漢字の使用不使用、という
文法的には大間違いな特徴があるが
これは 「読みやすいように」 との配慮からである。
だが、最近気付いたんだが、“読む人が” じゃなく
“自分が” 読めないからなのだ。
ところが、ほとんどのサイトは
(当然だが) まともな文章なのだ。
これでは私には、読む事が困難である。
だから、よそのブログなども滅多に読みに行かない。
理解するのに、ものすごく頭を使わにゃならんから。
今回の近代史の調べ物は、私にとって拷問だった。
知りたい事のページを開くと、文字がガーッと並んでいる。
何でこう、どこも改行なしでビッシリ書くんだよーーー。
とりあえず全部読もうとするが、脳が混乱している上に
モニターが発光してるので、目が疲れて、もお・・・。
(画面の光度を目一杯下げ、文字サイズを大にして
1mぐらい離れて見ているんだ)
反転させたりして、何とかこなしたが
ほんと、誰かが横でジェスチャーで伝えてくれんかな、と
心の奥底から、切実に願ったぜ・・・・・。
毎日、途方もない長文を書いているヤツが
まさか 「文章が読めない」 など、信じられんだろう?
自分でもネットを始めてから、やっと気付いたんだが
子供時代を思い返すと、心当たりが大あり!
トム・クルーズが、文字を読めない病気だと聞いて
そりゃ大変だなあ、と思っていたんだが
実は自分も、結構大変な状況だったとは!
こういう、気の毒そうな内容を書くと、皆、ひくだろうが
私相手に、今更何をフツーの反応をしてるんやら、と思うから
恥さらしかも知れんが、あっさり書いたぜ。
コメントを残す