以前のマルチ商法の話題のついでに、宗教も。
私は本当は、無神論者である。
(宗教とマルチ商法を並べて語るので、丸バレか?)
でも、「万が一、神様がいたらヤバい!」 と思うので
全否定はしない。 その時に慌てても遅いもんな。
とりあえず、いるものだと思っとった方が安全だろ。
まずわからんのが、神様ってどんな存在だ?
世界を作ったってだけなら、単なる職人みたいなもんで
作品 (地球) を壊す恐れがない限り
人の生には、関心はねえんじゃね?
番人的存在なら、人類はもっと罰が与えられて当然で
それをしてないって事は、かなり基準がユルユルだろ。
すんげえ大らかな判定だと思うぞ。
そう、必死こいて拝まんでもいいんじゃねえのか?
愛の源なら、もう何でもオッケーだよな。
善悪と好き嫌いは別だし。
人間は輪廻転生があるか?
これも、「死んで終わりなら、それでいいよ」 と、思うんだが
万が一にも、修業的生まれ変わりがあるとしたらヤバいんで
とにかく、いたらん事はせんように気をつけている。
あらゆる状況を想定して、リスクの軽減をしとかんとな。
宗教と、この転生観はセットである。
今生限りで終わりなら、何も努力する必要はない。
次があると思うからこそ、保険が必要なんだろう。
神様に寄進するのって、ようするにワイロだろ?
より良いものに生まれ変わろうと、今の人生で修行して
飛び級みたいに、一発逆転を狙おうという欲深い考えだと思う。
夏休みの最初の1週間で、宿題を全部やっちゃって
後はずっと遊びまくろう、みたいな。
万が一いたら、あったらヤバい、と言いつつも
とことん身も蓋もねえ言い方をしているが、恐くないのか?
と、聞かれれば、まったく恐くない。
神様ってのは、人間と同じ感覚じゃないと思う。
計り知れない高次元的存在なんだろ?
それを人間ごときの浅知恵で、どうのこうのできんよ。
神様の価値基準なんて、想定できんって。
もし、神様が人間レベルなら
それこそ、一発逆転が可能なんじゃないか?
妙な事をしてても、審判の時に泣いて詫びれば、情状酌量もあるかも。
てか、修行転生があるなら
私の前世って、きっと良くて昆虫あたりで
石 (生きてるのか?) とか
窒素ガス (もはや固体ですらねえ・・・)
とかだったと思うんだよ。
だって、今の私、ロクでもねえもん。
今以下の前世って、絶対に人間じゃねえよ。
それが人間に生まれて、喋ってるだけで大進歩じゃねえ?
これで人様に、生きるか死ぬかレベルの迷惑さえ掛けなければ
今生は大成功という事で、来世はもちっと利口に生まれるさ。
一足飛びにあれこれしようとせんなら
何とかやっていけて、それで良いと思う。
ほんと、見事にナマケ者な言い分だがな。
それに、神様が自分の存在をわかってほしいんなら
わざわざ宗教なんかで代理人を立てんと
自分が直接出てきた方が早くねえかあ。
たまに空に出現して、叫ぶとかすればいいんだし。
世界を作ったんなら、そんぐらいできるだろう。
これをしないって事は、人間にとっては
自分の存在が必要じゃないと思ってるって事で
世界をどうこうしようという意図はないんじゃないのかなあ。
では、何故、宗教が流行るのか?
まで書こうと思ったが、深層の令嬢は体が弱いので
疲れてしまいましたわ、おほほほ。
これはまた次の機会に。
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