肥後もっこす

私は九州男児が、大っ嫌いだが
熊本男児 (肥後もっこすと呼ぶ) の気性には好感が持てる。
見ててわかりやすく、実に痛快なのだ。

私の家は、父親は広島だが、母親が生粋の熊本人。
母方の親族も熊本市に集中している。

熊本人の特徴は、まず区別好きである事。
出身土地、出身高校で、その人の家柄を判断する。

熊本人同士が、最初に聞くのは出身校である。
これで大体の人物像を見分け、それがまたよく当たるのである。
これで言えるのは、熊本は見事に住み分けがされているという事。

出身校の縦横の繋がりも強く
熊本の中枢を担うのは、ある高校出身者である。
熊本は地場産業がとても強い。

私の叔父が、息子を自分の出身校でもあるその高校に入れたがり
中学浪人までさせた。

私は言葉で熊本人じゃないとわかるので
幸いにも、この出身校占いはされた事がない。

熊本人は排他的ではないので、よそからの移住者も多く
今はこの辺があいまいになってはきているので
表立った差別はされていないと思うが、よくわからない。

次の特徴が、区別好きであるゆえか、見栄っ張りなのだ。
大阪の食い倒れ、京の着倒れと言うが
熊本は “付き合い倒れ” であろう。

うちの母親も、「食うに困っても、お中元お歳暮はやめない」
と、言っていた。

プライドも高く、ブランド物が好き。
しかし、他人と自分を、他県と熊本を比べる事はしない。
それすらプライドが許さないのである。

そしてプライドが高いゆえに、決め付けが激しく、凄え頑固。
女性は男性には従うが、女性同士ではきっついバトルになる。
男性は言わずもがな、男尊女卑。

熊本男性、肥後もっこすの最大の特徴は、気性が荒い! に尽きる。

そういう地方は数あれど、県民こぞって満遍なく気が荒いのは
熊本をおいて他になく、日本一だと思う。

私も関西では、気が荒いとよく言われるが
普段からギャアギャア言ってるのは、逆に中身が弱い証拠。
そういう “気が荒い” のは、よくある事。

熊本の女性は、日頃から口うるさい。
宮崎や鹿児島は、女性はうるさくはないが、男性がうるさい。
それも、自分大変、自分偉い、みたいな事を
チミチミチミチミ言う。

たとえば、自分のやってる仕事の質問をされるとする。
「大変でしょうね」 の問いに
宮崎や鹿児島の男性は、自分がいかに苦労してるか
自分の功績がどれだけ凄いかをアピールしまくる。

肥後もっこすは 「大したこたなかですよ」 だ。
「しょんなか (しょうがない) ですばい。」
「皆やっとることですけん。」 と、謙虚。
プライドが高いから、自画自賛などの見苦しい真似はしない。

肥後もっこすは、普段はとても紳士的で穏やかである。
熊本弁の喋り方が、柔らかくゆったりとした言語なので
余計にのんびりしたヤツに思える。

が、実はものすごく気が荒いのである。
その気性が垣間見られるのは、車の運転である。

よそから来た人は 「普段は皆優しいのに何故?」 と思う。
新聞の投書にもよく載る。
熊本の道路は戦場なのだ。

これは、06年2月23日の “熊本のタクシー” にも
ちょっと書いているので、割愛しよう。

肥後もっこすは、眠れる獅子みたいなもんだ。
一大事になると、先陣を切って突っ込む。
自分に大義名分ができるまでは、大人しい。

だから、軍事主要地になったのかはわからんが
愛国心や愛県心が強く、地元の正義に反する事を許さないので
警察もとても強く、尊敬されている。
もちろん暴走族など、とっくの昔に壊滅させられている。

時々他県から、知らずに暴走に来るヤツもいるが
住民が、暴走バイクに角材 (!) を投げつけて殺しちゃって
誰が殺ったのかは、わからず終い。
(多分、皆、誰がやったかわかっていると思う)

TVの近隣住民へのインタビューで
「来るなら来ればよかですよ。 次に来たなら、俺がやりますけん。」
と、会社員っぽい善良そうなオヤジが平然と言っていて
「凄え!!!!!」 と、驚いた。

肥後もっこす、好きなんだが、万が一、敵に回すととても恐いので
遠くから眺めているだけにしたいもんだ。

Comments

“肥後もっこす” への4件のフィードバック

  1. テタのアバター
    テタ

    プライドが高いからこそ謙虚、ていうのは面白い。

    やっぱ田舎ほど同窓意識が強いもんかな。特に名門校だとなおさら。良くも悪くも(地元では)一生ついてまわる。反対に都会は名門高出身でも「いい大学、いい会社」に進めなきゃ最終的に評価が厳しい気がス。

    『九州男児が、大っ嫌い』
    ・・・why?

  2. あしゅらのアバター
    あしゅら

    それはだな・・・・・
    九州男児にイヤな思いをさせられる事が
    多かったからだーーーーーっっっ!

    固定観念が強い地方で生きるのは辛いぞ。

    いや、自分がどんだけしょうもないか
    っちゅう話にもなるんだがな・・・。

  3. もぐろふくぞうのアバター
    もぐろふくぞう

    わはは。

    こういう県民性は面白いですね。

    私がどうしてここにたどり着いたかというと、海音寺潮五郎の「幕末の男たち(下)」の終わりの部分に刺客・河上彦斎のことが載っていて、彼の極端な「肥後もっこす」ぶりが面白くてネット検索したのです。そしたら、更に面白い逸話があるじゃないですか。暴走族に角材投げて殺すとか。

    河上彦斎、幕末は徹底的な尊皇攘夷主義者で、洋学者の佐久間象山を斬った男です。ところが、明治になって日本が開国に向かうと、とたんに朝廷に対してヘソを曲げてしまう。あれほど攘夷、攘夷と言っていたくせに「おどんらを騙した」ということらしい。

    あの「鹿鳴館時代」と言われた、国中がやっきとなって西洋の文物を取り入れている時代に、いつまでも「攘夷」はないでしょうよ。で、長州の旧奇兵隊の不平分子が肥後にやってくると彼らを匿い、「不平士族の乱」を警戒した東京の政府に捕まって死罪になってしまう。死罪に値するような罪状はなかったが、「やつは生きている限り陰謀を企てるだろう」という長州閥トップ(たぶん木戸)の意見が裁判で考慮されたらしい。河上彦斎が処刑さるために牢から引き出されるとき、同じ牢に居た囚人に、「あんた、わしの遺言じゃというて、天下の同志に言うて下さい。鍋のつるは曲げてこそ役に立つのに、彦斎はわざと真っ直ぐにして使うた、そのために、こぎゃん目に逢うた、わしが真似ばしてはいかんばいとな」と言ったらしい。死する時、三十八。

    三十八才で、この時代錯誤的な頑固さはないでしょうよ。いくらなんでも。頑固は頑固でも、社会生活に不便をきたすほど頑固なら、ちょっと病気を疑わなければならない。

  4. あしゅのアバター
    あしゅ

    もぐろふくぞう、面白い話をありがとうー。

    処刑前の言葉を聞くと
    河上げんさいは、自分がやってる事を
    客観的にわかっていたんじゃん。

    自分の過ちを認める事と
    行いを改めるのは、また違う話で
    そこに “大義のための死” というのが
    生まれるんじゃないか、と思う。

    げんさいは、自分は犬死にするけど
    これからの若者は、もうこういうのは止めろ
    と言いたかったんじゃないかな。

    もぐろふくぞうの書いた文からは
    げんさいには頑固じゃない、他の信念を感じるなあ。

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