それはズバリ、飴と鞭だろう。
色んな人間が雑多に生きている世の中で
揉め事が起きないように、法律ができた。
だが、それは規制でしかない。
規制には反発がつきものである。
そこで宗教で補っているのだと思う。
人には、心の支えが必要であり
指針になる存在があると、生きる道もわかりやすい。
「あの人の言う通りにしていたら間違いない」
と、思わせる、言わば指導者がいたらラクなのだ。
生きてくだけで、色んな悩みや苦労があるのに
倫理でまで悩みたくねえもんな。
そこで神様の登場である。
元来は、生活に苦しい平民の間で宗教が広まり
国王や君主は、それを民衆の統制に利用していたのだが
今では自ら信仰しているほどのカリスマぶりを誇る神様。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教が4大宗教で
各々別個の神様がいるが
これは元はひとりなんじゃないかと思う。
教えが、すげえ似ているからである。
もしかして、神様が各地域の人種の特性を考慮して
代理人を配属して、信仰を広めたんじゃないかと思うのだ。
「こいつらは頑固だから、こういう教えで
こいつらはアホだから、こういう教えで・・・」 って。
キリスト教は、神がナザレという土地にイエスをつかわされた
という話だったと思うが、実は
「あー、ユダヤ教は地域限定っぽくなっちゃったから
あんた、ちょっと行ってやり直してー」
とかいう会話だったりして。
現在は交通や通信手段の発達で、交流が活発になり
各地域の距離感が近くなってしまい
各人種を正しく導くための宗教が
逆に紛争のネタになってしまっている。
世界の統一は、宗教観の統一もセットで
「ふざけんな、そっちがこっちに合わせろよ!」 てなもんで
古来よりある宗教の目的も、本末転倒になっている。
そこに登場してきたのが、現代人の感覚にマッチした新興宗教。
日本人は宗教観に大らかな人種なので、まだ平和なのだが
それでも新興宗教が次々に生まれているようである。
(新興宗教の定義は、1700年? 1800年? 忘れたが
確か、“ある年代以降に設立されたもの”、だったと思う。)
宗教観が強い諸外国も、新興宗教は盛んで
多分、生活の変化で、昔ながらの宗教は無理が出てきたのだろう。
新興宗教の仕組みを観察してみると、実に興味深い。
どうやったら人心を取り込み、儲けられるか
実に斬新なアイディアがいっぱいで、すごく勉強になる。
宗教というのは、そもそも、いかに清く正しく生きるかの提案で
それは一生を掛けて、地道に積み重ねるべきものだと思うが
今の世の中、それは受け入れられないようだ。
そこで、ひとつ何かをしたら、対価に何かを得られるという、
結果が早く、目に見える形の報酬システムになってきた。
たとえば人を勧誘すると、“魂の格” みたいなのがひとつ上がる
その宗教団体の試験に合格すると、クラスがひとつ上がる
(マルチの、シルバー会員がゴールド会員にランクアップ、みたいな)
など、人の名誉欲に付け込んだ、実に上手い方法なのだ。
これは、商売として見ると、とても優れていると思うぞ。
宗教団体の幹部って、凄い商才だと感心させられる。
私の父は、元バリバリの共産主義で科学信奉者だったが
「宗教が必要な人もいるのだから
それを否定してはいけない。」 と、言っていた。
それは一見、正論のようだが、今の宗教のトラブルを考えると
団体に所属する必要は、まったくないんじゃないかと思える。
人間、徒党を組むと、必ず一部が腐れるようだ。
その腐れた部分は、えれえなパワーで全体を引っ張り
世の中、汚いものの方が強いんだな、と、つくづく絶望する。
人体がある程度成長すると、細胞死にまくりで老化するように
人類も腐敗が進む終末期に入っているのかも知れない。
その中での宗教の存在は、もはやガン細胞にしか思えないが
それでも宗教が必要な人っているのだろうな。
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