以前、掲示板で差別に関して発言し
指摘を受けて、不本意な削除をした経緯がある。
削除に対しては、気持ちは変わってないが
自分の 「私は差別意識がある」 という言葉が事実なのか
それ以来、漠然と考え続けている。
考えもまとまってなく、今後も意見が変わるような気がするが
思考の途中経過を記しておきたい。
最近になって、改めて疑問に思い始めたのが
“差別” “区別” “好き嫌い”
この3つの違いと、関係は何なのか? である。
(注: ここでは人間関係を表す時限定の話で検証する)
これ、簡単なようで、すげえ難しいと感じる。
この3つは、明らかに違う意味を持つ。
でも、そこに好き嫌いが入ると、また形が変わってくる。
まず、“差別”
これは平等の反対語として、悪い意味で使われる。
この “差別” から、好き嫌いを排除したら
“区別” になるのではないか?
というのも、私は男女差別を公言しているが
自分が女性である事を卑下していない。
それどころか、女性である事が、ハッピー! とすら思う。
他の女性が嫌いで、貶めようなどとも、一切思っていない。
面倒くせえから女性蔑視論者でいいや、という態度だが
多分、私は男女差別じゃなく、区別をしているのだと思う。
では、私が大嫌いだと言いまくっている、外国人と九州男児、
彼らを私は差別しているのか?
「迷惑を掛ける外国人は全員、自分の国に帰れ!」
「九州男児は、友人ならいいけど彼氏にはしたくない」
これ、差別かなあ?
迷惑を掛けるヤツは、嫌われて当然だろう。
これが日本人なら、どこにもやれないから 「死ね!」 になるぞ。
追い出す方が、まだ人道的な扱いなんじゃねえの?
(九州男児に関しては、むしろ私に恋愛対象にされなくて
大ラッキー!!! だろ。)
ただ、犯罪を犯さなくても
日本女性をイエローキャブみたいに扱う外国人には、心底ムカついている。
貞操観念が大らか (物は言いようだな) な日本女性も実際にいるし
外国人には、東洋人の顔が判別しにくいせいもあるだろうが
相 手 を 見 て か ら ナ ン パ を し ろ !
同じ事を日本人男性がやっても、ムカつかないのは
ちゃんとTPOや女性のタイプを選んでやってるからなんだよな。
日本のためになる外国人なら大歓迎だが
外国人の犯罪が激増しているし、どいつがそうなのか見分けが付かんし
もう面倒くせえから鎖国でいいよ! と、思うのである。
これは差別なんだろうか?
差別というのは、恐怖心から起きる
今の時点の結論はこれだ。
自分の方が優れてて上、などと
見下した気持ちで差別するヤツもいるだろうが
そういうチャンガラな性格のヤツは、あらゆる面で論外だぜ。
私も含め、多くの人々は
「関わったらひどい目に遭う」 という恐怖心から
その人の属する集団を避けようとする。
問題は、「一部がそうだから全部そう」 という決め付けだろうが
これはしょうがないと思う。
日本人女性が、イエローキャブ扱いをされるようになったのも
日本人の中年男性が、東南アジアで女好きの烙印を押されたのも
日本人というのは、金さえあれば何でも手に入ると
思い込んでいる人種だと、世界中から思われているのも
全部、一部の海外渡航者がしでかした事が元なのだ。
これを 「ほんの一部だから」 と、言い訳するヒマがあったら
善良な日本人たちの態度で、日本の名誉回復を図っていく
努力 (尻拭いとも言う) をする方が進歩的だろう。
外国人と接する時には、祖国の誇りを背負っていると思え!!
どいつもこいつも、“旅の恥はかき捨て” をやってんじゃねえ!
一部で全部を嫌いになるのなら
一部で全部を好きになるのも、また可能である。
クズはどこの世界にでも、平等にいるものだから
他のヤツがそれをフォローする努力が評価できたら、「好き」
できないのなら、「嫌い、あっち行け」 の、自分基準でいいと思う。
でも、本題の “好き嫌い” と “差別” は
よく似ていて混同しやすいけど、明らかに別物である。
ここらへんが、まだ謎なんだよなー。
注: これは個人の人間関係に対しての意見で
国家間、政策としては、また別の問題である。
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