損と得

今、社会のモラルが問われている。
一体どうしてこんな身勝手な社会になったのかと
メディアで散々議論されている。
私には、この答はすごく単純なものに思える。

ほとんどの事を、自分の損得で考えるからだ。

得をしたい、と望まないまでも、損はしたくないだろう?
これがすべての元凶のような気がするぞ。

1円でも安く買いたい。
タダで貰える物は、いらなくてもとりあえず貰う。
電車では座りたい。
特別待遇をしてほしい。
各関係方面に知り合いがいると、何かと便利。
お金を拾った、得した。
割り込み車に譲ってあげたのにお礼の合図もなしかよ、ああ、損した。
何であの人だけ? 不公平。

などなど、これらの些細な事は、誰しもが思う事。
これらは別に悪い事ではない。

だが、良い事でもないような “悪い事ではない” 事の積み重ねが
世の中をダメにしていくのである。
人生を損得で考えていくと、社会全体がひずんでいく。
得の裏には、必ず損が存在するからである。
自分が喜ぶ陰で、必ず誰かが泣くのが現実なのだ。

こういう風潮になってしまったのは
“権利” という意識が勘違いされているからだ。
この言葉のせいで、自分の分をわきまえない輩が増えた。
ロクでもねえヤツほど、自分の権利を必要以上に主張したがる。

「『いただきます』 なんて言う必要はない。
給食費を払っているから、食べるのは当然の権利でしょう。」
 ♪ お ま え は ア ホ か ~ ~ ~ ♪
と、とことん見下して歌い踊りたくなったわ!!!

お金さえ出せばいいんかよ?
「いただきます」 を金換算かい?
そして、そのひとことを言うのが、そんなに損かよ?

この言葉は、食物を生産した人々や自然、料理を作った人々などに
「恐れながら、食事をいただかせていただきます」 という
物質的な物事に対するお礼だけじゃねえんだよ。

「じゃ、皆で一緒に食べよう。」 という合図も兼ねているし
もっと哲学的に掘り下げれば、今日も無事に生きて飯を食える
自分を、社会を、再確認する気持ちも含まれるんだよ。

これで納得できないなら、給食費を出してくれる我が親に対しての
感謝の 「いただきます」 で、どうだ?

これを親が教えなくてどうするよ?
こんなバカ親の存在こそが、日本にとって大損だろ。

“お互い様” という言葉は
時には自分の益にならないとわかっていても
スッと一歩引いて譲らないと、成立しない。

わかりやすいからと、お金を物事の基準にしたり
権利の主張ばかりしてたんじゃ、人間、クズになるぞ。
義務を果たせ、責任を持て、それがモラルだ。

Comments

“損と得” への3件のフィードバック

  1. ナナシのアバター
    ナナシ

    まぁ、最近では給食費を払わないDQN親が増えているけどな

  2. チョウチャンのアバター
    チョウチャン

    自分の親が給食費を払ってくれない事を知った子供が
    どう育つのか と思うと怖い。

  3. あしゅらのアバター
    あしゅら

    「義務教育だから、給食費を払わない」
    っていう言い分だったよな?
    教育と飯を同列に語るだけで、もう・・・。

    養育遺棄みたいな罪で立件すべき。
    利息つけて差し押さえもすべき。

    こんな親、子供を育てる資格なしだぜ。

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