子供の頃の家族旅行で、よく思ったが
旅館なんか、一体何人が食うんだ? というほど出すだろ。
それを見ただけでビビってしまい
結局、漬物とご飯だけしか食べずに、よくかあちゃんに怒られていた。
かあちゃん世代って、飯を大量に出す事がもてなしと
思い込んでいるフシがある。
兄が友人を連れてきた時や、来客時
私が帰省した時 (これは当日の夜のみだが) など
畳1畳の広さのテーブルに、ところ狭しと料理が並べられ
1品1品はそう大量じゃないんだが、とにかく品数が多く
これ、どうやって食うんだよ・・・と
ほんっと見ただけで満腹になってしまっていた。
かあちゃんと食事に行くと、「せっかくだから」 という言い分で
あれもこれもと頼み、そのくせ自分は少食でほとんど食わず
周囲に 「どうして食べないの? もったいない」 だ。
おめえのその行為がもったいないんだよ! 食える分だけ頼め!!
と、言いたかったが、言わなくてつくづく正解だった。
言った兄は、陰でケチのヒステリー呼ばわりされてしまったからだ。
この “発展途上な時代の日本” を生き抜いた人たちの
食への感覚は何なんだろうなあ。
現代では、もったいないと無理に食う方が
健康がもったいないと思うんだが。
てか、皆、食い過ぎ。
どっかで読んだ記憶があって、真偽はわからんが
1日3食ってのは、西洋文化で
それが入る前の日本の庶民は、1日2食だったらしい。
これ、すげえ納得できる。
西洋って、年を取るとブクブク太るだろ。
絶対に食い過ぎなんだよな。
日本人が肥満になりにくかったのは、和食のお陰だけじゃないと思う。
しかし、今の飯屋ってどこも大量だ。
注文して出てきた品を目前に、既にどうやって残すかを考えてしまう。
“残す” というのは、しつけの悪い行為だからである。
どうやったら失礼にならないかを、脳内であれこれ考えていると
それだけで食欲が失せてしまう。
私の食欲 (だけ) は繊細なのだ。
だから、よっぽど親しい人と
残して心配されない and 怒り出さない店でしか、外食はできない。
そんな私も、つい作り過ぎてしまう料理がある。
それはスパゲッティ。
ちゃんと麺の分量を量る器具を持っているにも関わらず
これじゃ少ないかな、と、チョロッと増量し
食ってて、その増量が仇となり、後悔の嵐。
いつもいつもこれだ。
わかってて、何で毎回これをするのか、自分でもわからん。
スパを茹でる時だけ、かあちゃんの霊が憑依してるとしか思えん。
スパって適量であっても、盛り付けた時も少なく見えるんだよな。
でも食ってみると、えれえ腹にたまる。
スパの時は、食った後に身動きできないほどゲフゲフで
「もう2度と食うもんか!」 と思うんだが
何かちょくちょく食ってるのが不思議。
皆、もちっと少食 + 粗食にせんかあ?
私が異常呼ばわりされているが
確かに私の少食・偏食は、充分に問題があるけど
私にだって反撃な言い分はあるぞ。
飽食の時代と言われて久しいが
メタボリックだ、生活習慣病だ、ムダだと言う割に
その食への異常な執着心は何なんだよ?
そんだけ食えば、そりゃあ太るだろうよ。
食うのがそんなに楽しいなら、料理もさぞや楽しかろうと思えば
惣菜、コンビニ、外食、だ。
おめえら、千と千尋のブタ両親かよ。
作れ! 自分で作れよ!
連日TVや雑誌では飯屋の特集、ストレス解消は食べ歩き。
おめえらの飽くなき食欲のせいで
やむなく自炊を強いられてるとは言え
(残す罪悪感だけじゃなく
量が多い = 値段も上乗せ になるんだぞ!)
時々、自分が仙人じゃないかと勘違いしたくなるのもしょうがねえだろ。
キイイイイイッ
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