「ツォツィ」 という映画がある。
南アフリカ共和国のツォツィという黒人少年が
車を盗んだら、後部座席に乳児が乗っていて
その乳児を放置できなかったツォツィが
乳児との交流の中で更正する、という話だと思う。
この映画がR-15指定なのはおかしいと
配給元が映倫にかけあったが、却下された。
映倫とは、映像倫理管理委員会だと思う。
自主規制組織で、ゲームとか映画とかVシネマとか分かれてて
日本では1社だけじゃなかったような・・・。
自主規制という事なので、違反しても罰則はないはず。
規制はRとPGとあって
Rは、その後に続く数字未満の年齢は入場禁止
PGは、その後に続く数字未満の年齢は、親と同伴なら入場可。
PG-12、R-15、R-18 があったと思う。
(「はず」「と思う」 を連呼してるのは、よく覚えてないからだ)
上の 「ツォツィ」 の件に関して
「犯罪を更正する内容だし、現状の南アフリカの状態がわかるので
子供にも勉強になる。 R-15指定にすべきではない。」
という意見があるらしい。
私は規制して良いと思う。
私がその年齢の頃は、ちょっとした事で衝撃を受けていたからだ。
特にエロ系、グロ系、恐怖系、残酷系、悲惨系。
今じゃ考えられないほど純粋だったって感じ。
人より脳の動きが緩慢な私を例に挙げるのは
不適切かも知れんが、私レベルのバカってゴロゴロいるだろ。
今のお子さん方は、昔の田舎バカガキより耐性が強いだろうが
規制というのは、大人に向けているものだと思う。
「こういうのをやたらに見せるのは、ちょっと考えてくださいよ」
と、大人に呼びかけているだけだ。
大人は、子供ならではの心の繊細さを忘れている場合が多いから
こうやって注意を促す事が、社会で子供を育てるという事になる。
どうせいくら規制しても、かいくぐる方法はいくらでもある。
規制されるほど見たくなるものだしな。
それでも願う。
キレイな幸せなものだけ見せてあげる時期、
モラルや思いやりを教えてあげる時期、
子供には、こういう限定された時期が必要だと思う。
現実は、これは不可能で
日常に普通に目にする出来事でさえ、子供は深く傷付く。
だからこそ、わざわざ映画でそういうものを見せる必要はない。
「ツォツィ」 は、犯罪更正の話かも知れんが
あれはアパルトヘイトが根源だろう。
その説明を始めれば、ヨーロッパの歴史や政治から解説せにゃならんぞ。
それは15歳以上になってからじゃダメなんか?
12歳、15歳、18歳、というのは、実に的を射た設定だ。
人格が定まっていない子供には
政治や宗教などの思想を与えるべきではない。
そういうのは、自分で学ぶべき事である。
子供のすり込み力をナメるなよ、と言いたい。
規制、大賛成。
本当に見たけりゃ、どんな事をしてでも見るヤツは見る。
規制は、見たくないヤツに見ないように予防させるのと
「こういうのは、割に反社会っぽいですよ」
と、自覚を植えつけるためのものだからだ。
ちなみに、映画で規制反対を言う時の常套句が “芸術”。
「どこが?」 と思うような物が多く
芸術とは凡人には理解できないものなのかも知れない。
ただし、エロを芸術だと感じる風潮は日本にはない。
映画など、ガンガンボカしまくってもらいたい。
「ドッグヴィル」 の続編、「マンダレイ」 では
男女ともにモロ出し部分が一部あって、その衝撃で
「うへえ・・・」 という印象しか残ってないぞ。
このシリーズ、ただでさえ後味悪いイヤな話なのに。
コメントを残す