07.4.25の 全国学力テスト 関連で
思い出した事を書こう。
現職教師が実際に言ってた事。
「点数以外で評価できる科目 (美術、音楽、体育など) は
“勉強ができない子” に、良い評価を振り分ける。」
「全部の科目で90点を取る子より
1科目だけ80点を取る子の評価を上にする。」
その理由が
「皆に “平等” に、良い評価をされる喜びを味わってほしいから。」
・・・・・そういうのを “不平等” って言うんじゃねえのか?
これさ、推薦入試とか視野に入れて
一生懸命勉強してる生徒にしたら、たまったもんじゃねえぞ。
何、操作してんだよ!!!!! って感じ。
何やら己の平等感に誇りを持って、そうしてたみたいだが
これが真の平等だとしたら
平等とは、“皆横並びしか許せない事” になる。
突出は許さないわけだ。
んで 「学校は勉強するだけの場所ではない」 と、言いつつ
勉強の成果を “配慮” するんだ?
誰にでも、頑張っても出来ない事ってある。
子供の頃にそういう絶望感を、わざわざ教える必要はない。
だが、現実に挫折というのは必ず襲ってくる。
大人が子供に対して出来るのは
そういう時に立ち直れる力を覚えさせる事ではないのか?
そして、「価値はひとつではない」 と、教える事ではないのか?
全員で手を繋いでゴールする徒競走は
足の遅い生徒に対する配慮だろう。
それが自分だ、と知った時の子供はどう思う?
お情けで “皆と同じ” にさせてもらったなど
ものすごく情けなくないか?
というか、これを 「情けない」 と思わない教育をしてるのか?
日本の教育機関は子供をどうしたいんだ?
もし、日本の全部の人間がこういう感覚になったとする。
何て気色の悪い国だ、とは思うが
日本国内だけでちんたらやってるなら、それも良い。
だが、日本は日本だけじゃやっていけないんだよ。
今の世の中、世界を視野に入れない産業などない。
なあなあな平等感で、世界を相手にやっていけるのか?
人を導く職業のくせに、長いスパンで全体像を見ず
事なかれ主義でやり過ごそうなど、言語道断!
この問題の根底には、人権の間違った解釈がある。
今の人権の基本は、“憐れみ” だ。
「可哀想だから」 が見えない設定になっている。
人権というのは、人間の権利と義務の話。
感情を切り離して語られるべきであり
基準の定まらない事柄に、平等を押し付ける道具ではない。
同情心は悪い事ではない。
だが、甘やかしは人間を腐らせる。
保護してやって、自分は良い事をした気分になれるだろうが
一時しのぎは、結局は相手のためにならない。
いい加減、何でもかんでも “人権” を持ち出すのはやめにせんか?
人権の単語で、何かのスイッチが入ったように意見を曲げる。
ドラクエで言えばメダパニ、FFで言えばコンフュ
まさに、混乱の呪文になってるぞ。
人権の印籠を振りかざすヤツは、皆が等しく同じに幸せという状況が
本当にありえると思ってはいないような気がする。
これならこれで戦略のひとつで、まだ理解ができる。
一番恐いのは、本気で思い込んでいるヤツ。
自分が幸せなら、他人も “同じように” 幸せであるはずだ
という、ものすげえ自分本位の自己愛って、やっかいだ・・・。
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