家事が大っっっ嫌い!

でも、ちゃんとする。

家がキレイじゃないと気分が悪いし、清潔じゃないとイライラするし
きちんと飯を食わんと健康が保てないし
メイドがいる身分じゃないので、自分でするしかない。

掃除や炊事など、めんどくてめんどくてしょうがない。
でも、ちゃんとやった後は、晴れやかな気持ちになるので
それを希望に頑張る。

しかし、性格的に耐え忍びつつ物事をするのは不可能なので
やり甲斐が出るよう、脳内で己を暗示に掛ける。

以前は、発奮させるために 「うりゃあ! うりゃあ!」 と
気合いを入れる、オラオラ商法をやっていたが
これよりもっと効果がある方法を見つけた。

それは、ありがとう戦法。

年末の大掃除が苦痛でしょうがなかった時にあみ出した技で
「今年も1年、どうもありがとうございました」 と
家に感謝の気持ちを持って掃除すると
何か自分がとても善人になった気がして
自然と掃除にも念が入る、という仕組みである。

(前回の大掃除は、どうしてもやる気が出ず
 心の中で 「ありがとう、ありがとう」 と、唱えつつやってて
 我ながら、どういう宗教だよ? と、ちょっと不気味だったよ。)

それ以来、「ああー、めんどくせえ」 と思った時には
まず、感謝の気持ちを持つ事にした。

部屋掃除も風呂掃除もトイレ掃除も
「いつも使わせてもらってありがとう」 と、唱えつつする。

一体誰に 「ありがとう」 なんか、よくわからんし
妙に宗教っぽくなってるのは年を取ったせいか?
ちょっとでも善人ぶろうとしてるのは、まさかお迎えが近いんか?
と、我ながら疑問の渦中にいるが
優しい気持ちになれるのは、自分が幸せな証しだろ。

何を怪しい画策をしとんのか
印鑑証明を送れだの、わけわからん書類に判子を押せだの
うるさい要求をしてくる兄にも
「実家を守ってくれててありがとう」
「お米を送ってくれてありがとう」
と、思いつつ役場に行く、といったように
この考え方は、幅広い応用ができる。
(実家を守るどころか、着々とゴミ屋敷にしてくれてるといった
 都合の悪い現実は、とりあえずお置いといて。)

これはプラス思考だと思われるかも知れんが、それは違う。

普通の人は、面倒くさいなど思わない事でも
私はイヤだと思ったら、指1本すら動かしたくないのだ。
言わば、私が人間らしく生きるための知恵である。

私はまさに、着替えすらお付きの人にやってもらう生活を
送るべきな性格を持ってるのに
お付きの人などいるわけがない環境に生まれた
悲劇のヒロインなのである。

ああ、生まれる時代を間違えた・・・。
(大昔に生まれてても、女工とかやってたような気がするが)

と、こういうくだらん空想をしてても、何の進展もあるわけでなし
我がの飯は、我がで作るしかねえので
今日も食材にありがとうありがとうと思いつつ
クソめんどくせえ飯作りに勤しむのであった。

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