私個人の結論から言うと、集団自決の背景は以下の意見になる。
・ 日本軍の命令はなかった
・ 日本軍の関与はあった
・ 集団自決はあった
島と言うのは歴史上、常に不遇な立場に置かされる。
内乱においては、政治犯流刑の場所になり
外国との戦争においては、真っ先に上陸目標になり
戦争の行方によって、所属する国が変わる。
沖縄もそんな島の運命をたどってきた。
沖縄は元は琉球王国で、日本とも東アジアとも人種が違うと思う。
近いのは、南太平洋の島々の民族であろう。
台湾と同じで、独立した国家であっても良いはずなのだが
小さな島が、世界でそこまで権力を持てず
日本に組み込まれているのだと、私は解釈している。
もちろん人種がどうあれ、日本国籍を持っている人は
我々と同じ日本人だという認識である。
第二次世界大戦の際は、沖縄が大々的に上陸された。
これが八丈島とかでもおかしくなかったのだが
終盤の戦闘で、東南アジアが舞台になったので
言い方は悪いが、地理的に運が悪かった。
それでなくとも、島としての不遇を味わってきた事で
何でいつも沖縄ばかり、という不満は理解できる。
しかし、それで歴史事実を変えたらいけない。
日本軍の命令という記録はどこにも残ってない。
当時の沖縄駐留軍の隊長は、生還しているが
本当はそのような命令は出していないけど、出したと偽った。
隊長は真実を語らず亡くなったのだが、後に命令されたという島民が
実は命令などなかった、と証言を撤回している。
命令があったという事にしておきたかったのは
戦後補償で、“協力者” の立場にあった一般市民には
戦傷病者戦没者遺族等援護法 という書き写すのも大変な名の
援護法を受けられるからである。
それをわかっていたから、当時の軍隊長も
汚名を着てまで、命令をした事に同意したのである。
これは戦後アメリカに統治される沖縄に対して
日本ができる補償のひとつだったのだろう。
この気持ちは、正しいと思う。
しかしそういう事実もふまえて
“そういう時代だった” と、正確な歴史を後世に残すのが
戦争の悲劇を忘れないために必要なのだ。
明らかに真偽が入り混じった歴史など、信用できないからである。
軍の命令があった、という説を唱える人は
当時の軍の横暴さや、さまざまな苦労をひっくるめて
「軍が悪かった」 と言う。
直接命令されずとも、精神的にそういう方向に追い込まれた、だの
そういうのは感情論である。
戦時中は誰もが、それぞれ大変な想いをして
世界中のひとりひとりに言い分があるのだ。
そういう事を個人個人が言い出すと
歴史認識においては、間違った方向に行ってしまう。
手榴弾を兵士から渡されたのも、見方によっては
同じ日本人同士の思いやりだったかも知れない。
あの時代は、鬼畜米英と言って
白人は狂暴で残酷だと、全国民が信じ込まされていたのだから
そういうヤツらに迫られて、ひどい目に遭わされるよりは
という捉え方も出来るわけだ。
こういう歴史上の問題を叫ぶ人々は
どうも事実を感情的に展開する傾向がある。
残された資料の客観的な分析が
感情によって狂わされているように見える。
教科書には、決定されている事実だけを記載してもらいたい。
教育に血を通わせるのは、現場でしかできない役目であって
教科書など、ただの年表でしかない。
その年表にさえ感情を入れるのは、これはもう洗脳である。
“軍の命令” という一文がなくても
沖縄の壮絶さが闇に葬られるわけではない。
戦争の悲惨さは、資料を読めば充分に伝えられるし
ロクに勉強などしていない私にも、島の悲哀はわかるのだから。
間違えないでほしい。
軍が悪いのではない。 戦争が悪いのだ。
<補足>
載せた後に何かモヤモヤして、客観的に読み直してみたら
「皆辛かったんだから、おめえらも我慢せえ」 と
言っているように読めます。
これは良い方向に行くためには、絶対に思ってはならない事なので
私はそういう意見は持っていません。
私の言いたかった事は、この2つです。
・ウソとは言わないけど、歴史に感情を加えると
あらぬ方向に全体的事実がゆがめられる事がある
・教科書に事実確認をできた事以外を載せるな
ヘタが文章を書くと誤解を招く恐れがある
という自分への戒めとして、訂正はしないで晒しておきます。
申し訳ありませんでした。
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