この答を、多分私は知っている。
しかし最近は、この答がそう大事な事でもない気がしてきたのだ。
よく考えてみると、人生、幸せになる必要もないんじゃないのか?
えれえ投げやりに聞こえるかも知れんが
本当にこの “幸せの価値” について、疑問が生じているのだ。
元々私は、欲の薄い性格だったんだが
(こう書くと、えれえ良い人のように聞こえるけど
単に欲を持つほど、頭の良いガキじゃなく
そのままズルズルと大人になっただけ、というのが真相だ。)
年を取るというのは、どうも性格上では
濃い部分はより濃く、薄い部分はより薄くなるらしい。
私の場合、長生きするほど自然解脱の様を呈してきている。
良く言えば即身仏状態、悪く言えば生き腐れ?
それにあらがおうとして、ここで自画自賛に励んでいるわけだが
ま、実際そこまで無欲にもなれず、境界線をウロついている
中途半端な立ち位置にいるのが現実。
欲というものの根源は、幸せ願望ではないのだろうか?
これは悪い事ではなく、エネルギーの元であり
生きていく上では、最重要な要素だ。
欲がないのは、生きる力がないのと同じ。
その欲がほどほどで健全なら、それ以上にない良い糧となる。
しかしそのエネルギーがあらぬ方向を向くと、危機が待つ。
宗教や思想にハマったり、生きる価値を問うたりする。
ない答を探すと、終わりのない泥沼に陥ってしまう。
幸不幸とは、本人の脳内認定でしかない。
個人の脳内で思っているだけに過ぎない。
つまり考え方の問題でしかないのだ。
どうしても自分が不幸に思えて、それに納得がいかないのなら
どこぞの真の世界で、ランクアップするために
今生では修行のために生まれてきた、ぐらいに思えば良い。
今現在を嘆く必要など、まったくない。
何故こういう事を考えたかと言うと
幸せにこだわるあまりに、辛い生き方をする場合があるからだ。
近付きたいと思うがゆえに、益々遠ざかる。
これが悲劇じゃなかったら何なんだ?
幸せとは、頑張ってならなくても良いんじゃないのか?
私も時々そういうループにハマる。
で、ジタバタしまくった後に、ようやく悟る。
人生、どっちかに収拾を付けなくても良いんだよな、と。
今年は結構あがいた年だったので、自省の念を込めこれを書いた。
1月7日に、またお会いいたしましょう。
それでは皆様、良いお年を。
コメントを残す