たとえば、誰かがいい服を着てたとする。
大多数の人は 「どこで買ったのか」 と聞くよな。
でも関西人は、「いくらだったのか」 と聞いてくるのだ。
このように、関西以外の人の関西人に対するイメージは
“がめつい”“あつかましい” であろう。
当然、私もそう思っていたのだが、実際に関西で暮らしてみると
ちょっと違うんじゃないか? という面も多い。
私は関西弁の正しい表記ができないので、相手が関西弁で喋ってても
ここでは全部、標準語 (そうかあ?) で書き換えている。
日常の会話でも、不思議な事に脳内では
関西弁 → 標準語 → 九州弁 と、変換してるようだ。
英語を喋れる人は、脳内で日本語に変換せず、そのまま英語で考える
という話を聞いた事があるので、これが本当なら
私は関西弁も英語も、一生話せないだろう。
そういう事はどうでもいい。
私が関西に来て、一番驚いた言い回しが 「させてもらう」 だった。
最初に聞いた時は、何て謙虚な人なんだろう、と
その人個人の人格だと判断したのだが
どうやら関西人には、この言い回しが普通みたいなのだ。
店屋での、店員さんとお客の会話で
「この前、寄せさせてもらった時に」
TVで視聴者相談の会話で
「相手に何度も (クレームの) 電話をさせてもらったんだけど」
など、それ “させてもらう” と言うかあ?
自分で勝手にしてるんじゃん、というような場面でもよく聞く。
何かものすごく違和感があって、普通なら聞き流すところを
いちいちピクッとくるので、よく覚えているのだ。
もうひとつ驚いたのが、“よばれる”。
飲食物を飲み食いする時に、よく使われている。
「これ、もう1個よばれていい?」 みたいに。
この “よばれる” は、私の今までの生活圏では
家に招待されたのを 「お呼ばれした」 といった具合に
“招かれる” という意味でしか使われなかったので
関西弁の場合に、果たして “呼ばれる” という漢字を
あてはめていいんかすら、わからない。
さすがに割り勘の食事で、この言葉を聞いた時には
「自分で払うんだから、好き勝手に食えば?」 と内心思ったんだが
実に丁寧で謙虚な言い回しである事には変わりはない。
どっちの言葉も、私にとっては馴染まない言い回しなのだが
意味は何となくわかるので、表面的にはサラッと流しているけど
脳内では、ものすごく引っ掛かるものがある。
ずうずうしいと言われる関西人なのに
この謙虚な方言はどうしてなんだろう? と、すげえ疑問。
もしかして、「良いよね? 許可を出したよね?」 みたいな
いざという時の責任逃れの意味もあるんか? と、邪推するが
そういう気配もないので、純粋に謙譲語のような気がする。
関西人って、もしかしてものすごく謙虚な面があるのかも、と
それを見習おうとして、「ごちそうさま、おいしかったわあ」
と、うちに来た客に言われた時に、「お粗末さまでした」 と応えたら
「何? それイヤミ?」 と言われてしまった。
うちの母親は、客の 「ごちそうさま」 に、こう応えていたのだ。
料理を出した側が、「御馳走さま」 と言うのはおかしいだろ?
本当は 「お粗末さまでした」 の後に
「何のおもてなしもできませんで」 と続くのだが
正直そこまでは面倒くさかったので、はしょったんだが
それがまずかったんか、この言い回し自体が局地的なものなのか
私が使いどころを勘違いしてるんかは、定かではない。
とにかく、関西では言わないんだと。
これに順ずる言い回しも思い当たらないと言われた。
方言は謙虚な関西人なのに? うーん・・・・・?
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