「悩みがなさそう」 というのは、たまに言われる。
そう言われるのは嬉しい事である。
何故なら、悩みはすぐ対処するように努力してきたつもりなので
人にそう見られるというのは、それが割と叶ってるという事じゃないか?
(「悩むほどの頭を持ってなさそう」 と思われてるのかも知れんが)
“人のオーラが見える” という人がいて
その人に自分はどう見えるかを訊ねたら
「あなたは、とても苦労してきた人ですね」 と言われ
そんな事を言われたのは、生まれて初めてだったので
ものすげーーーーーーーーーーー驚いた!!!!!
何故そう感じるのか問いただしても、とにかくそう見える、だけだし
冷静に思い返しても、そんな苦労したような心当たりもない。
そりゃ大なり小なり辛い事もあるが、生きていれば自然な事で
そう取り沙汰すような特別な経験でもない。
もしかして幸薄そうに見えたんか? と、すげえ落ち込んださ。
せんでいい苦労をしているヤツは、概して不幸そうに見えるので
私がもし苦労をしているとしたら、それは絶対に
わざわざしなくてもいい苦労に違いない、と断言出来るわ。
人の悩みを聞いて答える時に
よく、「何でそんなに割り切れるの?」 と、不思議がられる。
ものすごくドライな人間に思われがちである。
以前にも書いたが、割り切れているわけではない。
自分なりに結論を出し、この問題はこれで終わり! と、〆ても
時々その事についてボンヤリ考えている自分に気付き
やっぱり引きずっているんだろうか? と愕然とする。
決して良い気分ではないので、これがストレスというものなんだろうか?
人間は他人の事はよく見通せても、自分の事は曇ってよく見えない。
私が人に相談をした時に、その場で答が出るのがそりゃ最上なんだが
そんなラッキーな事は滅多にない。
でも、「そんな事は些細だ」「誰でもそんなだよ」
みたいに言われると、ものすごく救われる。
他にもっと大きな問題があるのに、このぐらいで悩んでいる自分は
何て情けないヤツなんだろう、と反省したり
皆、耐えているんだから、自分も頑張らなきゃ
という、ある種巡礼者のような気持ちになれるからだ。
だから私も人の相談には、それを論理的にしているつもりなのだが
脳みそのなさと人徳のなさの合体ワザで、上手くいかない。
とんだ能天気バカに思われるのが関の山である。
そして、1行目の言葉に繋がる、というわけだ。
そう。 私に悩みはない。
あるのは、隠しファイルにロックを掛けて閉じ込めてるのに
時々自発的に出てくる解決できない問題と
漠然とした得体の知れない不安だけだ。
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