被告の元少年に死刑判決が出た。
これは最高裁差し戻しなので、誰もが予想していた事であろう。
私としては、このような残虐な犯罪に対しては
裁判の長期化を “税金の無駄遣い” とすら感じるほど
1mmの同情の余地もない。
唯一恐いのは冤罪で、その可能性がないのなら
こんな犯罪を犯したヤツには、改心されてまで社会にいてほしくない。
真に更生したのなら、そいつは “元” 犯罪者だが
罪によっては、いくら反省しても許せる限度がある。
自分の善悪の基準は完璧ではなく、犯罪者にも言い分がある。
これは重々に承知しており、それを聞く耳も持っている。
だがそれは、微少な罪状の場合のみで
いくら些細な罪でも、繰り返した場合は情けなどかけたくない。
ましてや、いくらテンパったとは言え、人を殺すなど
もうその時点で、普通の人間ではありえない。
すぐ激昂して怒鳴る性格のヤツですら、日常では敬遠されるのに。
私のこういう思想はブログの端々で書いてきたので、この辺にするとして
今回の長期裁判でほんと不思議だったのが、被告の心情である。
被告の “気持ち” が弁護人を通して報道されてたが
結局のところ、被告は本当に反省しているのか、いないのか
この1点ですら、よくわからなかった。
昨日の報道でも、被告本人に面会をした内容を
2つのTV局のニュースで見たけれど、その内容も
「死刑は仕方ない」 と、「生きて償いたい」 と分かれていた。
これはマスコミの受け取り方の違いなのか?
人の心は揺れ動くものだが、“反省” の点で揺らがれるのなら
社会に解き放つべきではないと思う。
人権擁護者は、更生更生言うけれど
法整備もずさんで、衣食住にも困っていた昔の社会状況ならまだしも
選択肢の多い現代で、犯罪の道を選ぶというのは
どれだけ罪深い事かというのをわかっているのだろうか。
アメリカの犯罪者の言い分を、TVでやっていた。
「俺に罪を犯させたヤツ (殺された人) が悪い。
お陰で俺は、“自由に生きる権利” を奪われている。」
と、労働義務もなく、タバコも吸えるコーヒーも飲める
ユルユルな刑務所の中で言っているのを見た時には、心底絶望した。
一体どういう人格なら、このように殺人を正当化できるのか
人種が違うどころか、同じ人間とは思えない感覚の差だ。
これが、“権利の国” のなれの果てなんだろうか。
犯罪者など社会にいらんよ。
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