ちょい前にTVを点けていたら、こんな話が聞こえてきた。
「最近、モンスターペアレントという言葉が使われている。
これはいけない。
相手も人間であるのに、“モンスター” と決め付け
そこでシャットアウトしてしまう。
それは相手の人格を否定しているのと同じ。」
ふざけるなーーーーーっっっ! と、TVをブチ切ったので
これを言ってたのが誰なのか、(また) 覚えていないが
多分どっかの大学教授で、カスタマーサービスの第一人者だったと思う。
まったく、第一人者が何ちゅう事を言い出してくれるんだよ。
モンスターなどと言って “差別” せずに
相手の言いたくなる気持ちも理解してあげるように努力をしないと
何も進歩はしない、という事らしいんだが
今までの世間の流れを見て、ものを言ってもらいたい。
学習の格差をなくすためのゆとり教育で、レベル低下
給食費滞納の生徒にも食わせるための、給食の質の低下
加害者の人権保護のための、被害者無視
その他、教育現場から小売業まで、ムチャクチャ言うヤツのために
どんだけ普通の人々が我慢しなきゃならなくなったんだよ。
正直、他人に迷惑をかけて平気なヤツは、社会にはいらない。
このごく普通の願いが、人権の名の下に非人道的と言われるなんて
そっちの方が間違っていると思わんか?
(“普通” って何? と噛み付くアホウがよくいるが
普通とは、その社会の常識を備えた “大多数”“一般的” の事だ。
社会が悪なら、悪が “普通” になる。
こんな当たり前の事に、心の警報がなるようじゃおかしいぞ。
“普通” の人々は、社会を善で回るように保とうとしているのであって
それは悪を抑えたいだけで、個性を排除する事ではない。
この場合の善とは、普遍的なものでは個人個人の安全をさす。
更に、その時代その時代に沿った協調性が加えられる。
悪はそれを脅かす存在。)
この教授は、“モンスター” と呼べばそれで終わり、みたいな
風潮になる事を心配しているんだと思う。
放置してたら、何も変わらないのもわかる。
でも、今までそれで善良な人々が歩み寄ってきたからこそ
今の不便で不公平な社会になったわけで
何を言っても通じない人間もいる、というのを学んだだけだ。
底辺に合わせても全体が落ちるだけで、決して底上げはされない。
今後は放置せず容認せず、糾弾する方向で行くべきである。
こういう全体思想に、過剰に危機感を抱く人もいるけど
少数派であるはずのドグラが、常識的な人々の遠慮や親切心に付け込んで
自分たちがあたかも平均値であるかのように変換しようとしている事の方が
よっぽど危険な運動のように思えんか?
一般市民のひとりでいたいのなら
自分の事ばかりじゃなく、相手の事、社会の事を考えてくれ。
数あるルールの中で、このたったひとつの事すら守れないヤツって
お互いに日本語を喋ってるのに、会話が成り立たないんだよ。
話せば話すほど、わけがわからなくなってくる。
そりゃモンスターにも思えてくるぜ。
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