08.6.2の記事に 「コップ1杯の水に拝む」 と書いたら
「宗教?」 と聞かれたので、追記。
この行為はある意味宗教的だが、宗教ではない。
毎朝、コップに水を汲み、高い場所に置いて手を合わせる。
仏壇や神棚があったら、それに沿った作法が一番だけど
学生さんだから、“気持ち” だけで充分、と
タクシーの運転手さんは言った。
もしこの時に宗教勧誘をされていたら、入信したであろうほど
心が弱っていた私にとって、このタクシーの運転手さんの
常識の範囲内での助言に、今でも感謝している。
違う人に出会ってたら、今頃ツボを売ってるかも知れんのだ。
とにかく、えれえ意外な方法ではあったが
他に何の術もなかったので、言われたとおりに
毎朝コップに水道水 (!) を汲み、冷蔵庫の上 (!) に置き
手を合わせて祈った。
ご先祖様に感謝を、っちゅう話だったが
「神様、今日も一日よろしくお願いいたします」
とか、願っちゃっていた私は、図々しいにも程がある。
しかも神も仏もチャンポンの物知らず。
人間、すがるものがあれば救われるもので
このムチャクチャな祈祷も、毎日続ければ効果が出てきた。
多分プラシーボ効果と似たような作用だと思うが
何もない荒野に立つより、崖を登っている方が
方向性が見える、っちゅうか、そういう感じ。
祈りってのは、1本のロープと同じ役割りを果たすようだ。
何か心の拠りどころがあると、気持ちがラクになる。
この “お祈り” で、パニック障害みたいなんを克服した時に
宗教って必要な人もいるんだな、と実感した。
と同時に、自分は絶対に宗教には入らないであろう事も確信できた。
人が用意してくれた祈りの場など、私には必要ないからである。
祈る相手も場所も方法も、自分で作れば済む。
大事なのは感謝する気持ち、それだけなのだ、と悟ったのである。
コップに水は、2年ぐらいしかやってない。
バチ当たりな事を言うが、面倒だったのだ。 ほんと、すみません。
でもその代わりに、夜寝る時に布団に入って
「今日も一日ありがとうございました」 と、“思って” から寝る。
続きゃ何でも良いんだよ。
私は宗教家ではないけど、信仰心は持っている。
このコップに水、の話をすると、大抵のヤツは気色悪がる。
本当は何かの宗教をやっているんじゃないか?
と疑われるのなら納得だが、何故かそれは思われない。
問題は、すげえ個人的に、何かの “儀式” を
やってると嫌疑をかけられる事。
ほんと常識でものを考えてくれよ。
普通のヤツが、家で何の儀式をやるっちゅうんだよ?
私は思想家でもないし、確固たる主義主張も持っていないし
ナチュラリストでもベジタリアンでもエコでもない。
妙な民族衣装も着てねえし、そんな疑惑を持たれる要素は何ひとつないね。
こんなごく普通の私でも、祈り系の話をすると誤解されるので
やってみようと思うヤツは、口外なしの一子相伝の秘儀にしとけ。
コップに水も、形から入りたいならいいが、家族がいる場合はやめとけ。
布団の中で脳内で祈るだけで充分だぞ。
神様や仏様は人間と違って欲もないから、凡人に高望みはするまい。
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