ここ数日、しきりにTVで秋葉原殺人事件の容疑者の
バックボーンを討論している。
重大事件発生時のこういう流れは、毎度の事で
こうやって皆が事件について考える機会になるのは、悪い事ではない。
1億総プロファイラー状態。
しかし最近になって、これの答ってすげえ単純なんじゃないか?
と、思い始めた。
たとえば、貧乏な家庭に育った、という設定でも
貧乏人の子供が全員、何らかの犯罪を起こしているわけではない。
低学歴でもしかり、親がいなくてもしかり。
アメリカの学説では、親の虐待が大きな要素になっているという説が
有力視されてはいるが、そんな境遇の子供はこれまたごまんといる。
結局、“こういう環境だと、こういう重大犯罪を起こす” という
定義が成り立つには至っていない。
色んな境遇の人がいて、同じような境遇の人も大勢いて
何故そいつだけが犯罪を実行するのか。
これは、同じ箱に入れても、人はそれぞれの個性を持てるのと
犯罪発生の要素がひとつだけではない、という事によるものだろう。
で、世界各国の専門家が日夜研究している難しい問題に対して
私が厚顔無恥にもまた、とんでもない暴論を打ち立てる。
もしかして、犯罪者の誕生確率ってあるんじゃないか?
どんな制度の国だろうが、どんな親の元だろうが
人口何人に当たり何人の割り合いで、犯罪者予備軍が産まれるのだ。
くじ引きの箱の中に、特賞が1枚入っているように。
もう、これだと、出産はえれえな大バクチになるが
芽を出さない種もあるように
犯罪を起こさずに済む予備軍もいるかも知れない。
ニュースを見て、こういう空想をボーッとしていたが
もっと単純に考えて、性善説とか性悪説とかでもなく
人間の遺伝子の中には、必ず犯罪の種が埋まっているんかも。
それを育てるか腐らせるかは、自分で選んでいるような気がする。
自分の正義感だって、絶対確実な揺らがないものではないし
何よりアホウだから、いつどこで道を間違うやも知れん。
いつまで善人サイドで被害者ヅラしていられるやら。
起こった犯罪について、考えを巡らせるのは
そんな自分に対する戒めとして、有効な事だと思う。
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