幼女連続殺人犯の死刑が執行された。
この死刑囚には思い入れがあったので、感慨もひとしおである。
思い入れとは、猟奇犯罪に興味があったからである。
まったく想像できない事って、解明したくなるだろ。
河原の岩をひっくり返して観察するような
野原の謎の穴を覗き込むような、そんな心理。
“あった” と書いたのは、今は違うからだ。
以前は、「こんな犯罪を起こすのには理由があるはず」 と
犯人の心理を分析しようとしていた。
どんなヤツにも、必ず言い分がある、と信じていた。
しかし、調べれば調べるほど、その “言い分” とやらが
身勝手なものだと呆れていく。
それでも昔の私は、「何かわからんけど、当人には大変だったんだろうな」
と、同情の気持ちもあった。
それが何故なくなったのかと言うと
周囲がどんなに大変でも、自分さえ良ければ
「得した」 と喜べるヤツが現実にいる、と知ったからである。
こういう人間とは、会話が成り立たない。
いくらこっちが理解しようとしても
向こうには他人の意見を考慮しようという気持ちがないので
正直、同じ土俵に立つ事が良いのかすら、疑問に思えてくる。
こんな危機もありえる、と認識だけしとけば
分析して解明する事は必要じゃないんじゃないか
と、思うようになったのだ。
そんぐらい、嫌気がさした。
現にあの死刑囚も、20年掛けても
犯行の詳しい動機は解明されていない。
当初から報道を見てきたが、あの死刑囚は
犯行当時には、多重人格でも統合失調症でもなかったと思う。
逮捕直後は、ちゃんと筋道だった話をしていた。
幽閉されてから、おかしくなったと分析している。
麻原被告も同じ経緯をたどっている気がする。
普通の感覚の人は、重大な事をするには重大な訳がある、と考える。
しかし猟奇なヤツは、欲のみでとんでもない事をするのだ。
それは自分以外の人間の価値を大切にしないからである。
だからこそ、“変質者” なのだろう。
難しい心理じゃない。 動機は単なる性欲だ。
それを防ごうと思っても、普通の感覚の持ち主じゃ行動の想像がつかない。
更生させようとしても、本人の気持ちが理解できないんじゃ
“人権” 的に言えば、押し付けになってしまう。
「国家による殺人」 とか言われるけど
国民に危険が及ぶのなら、排除するしかないと思う。
それが嫌なら、自分の欲を抑えるべきだな。
この考え方を、決して正義だとは思わない。
他人に勧めもしない。
賛同を望む気持ちもない。
私は、他人の存在を尊重できるヤツを優先するだけだ。
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