祝・金メダル

オリンピックとか世界大会とか、観ないようにしている。
何故かっちゅうと、気のせいかも知れんが
私が応援していると、必ず負けるからである。

昨日も鉄板の柔道を観ていたのだが
日本人選手が不本意な負け方をして、激怒でTVをブチ切ったさ。
後でニュースで観たら、ママでも金も銅メダルに終っていたので
私が観ようが観まいが、何の関係もない話になったが。

何より柔道を観ていて腹が立つのが、他国の選手の服装の乱れである。
要するに、途中で柔道着をきちんと整えろ! と言いたいのだ。
柔道がJUDOになってから、レスリング似になり
本来の柔道の精神が失われているように思える。
とか柔道をやった事もねえヤツが偉そうな事を書くが、書くのはタダだし。

柔道は日本のお家芸だったのだが
もうそういう時代ではないのかも知れない。
柔の道は、世界に羽ばたいてJUDOと変身したのであろう。

などとまとめないと、ほんっっっと腹が立ってしょうがねえんだよ!
だけどその不振の中、必ず金メダルを取るのもさすがである。
国民が勝手な期待をして、多大な重圧に耐えて
ほんと大変な苦労があるだろうな、と思う。
選手の皆様、お疲れ様でした。
どうもありがとう。

重圧と言えば、水泳の北島康介選手。
彼を見るたびに、トイレの男子マークを思い出し
名前も誰なんだか、 “北島康介山” と間違えていて
そんだけ余裕のある選手だと思い込み、こっちも余裕に構えていたが
100m平泳ぎで金メダルを取った時の涙を見て
どんなに完璧でも安心など微塵もできないんだ、と改めて感じた。

大丈夫大丈夫と言うので、真に受けていたが
一体どれだけのプレッシャーがのしかかっていたんやら。
競泳後のインタビューを見て、もらい泣きをしてしもうたよ。
昼間っから独居老人がすすり泣くなど
もし人に見られたら、えれえなドン底人生に思われるじゃねえか。

北島選手、本当におめでとうございます。

世界レベルだろうが、一般レベルだろうが
スポーツだろうが、他の様々な事だろうが
期待に対するプレッシャーというものは、人生につきものである。

しかし、たまにプレッシャーを感じないタイプもいて
そういうヤツは、一体どういう神経なのかと分析すると
・ 空気を読めない
・ 物事を軽く考えている
この2つの共通点があるように思える。

空気を読めないのは、頭が悪いせいなのでしょうがないが
物事を軽く考えているのは、無責任とはちょっと違って
まさか自分が期待されているなど、ゆめゆめ思っていないからなのだ。

こういう感覚の持ち主は、大抵周囲から
「出来て当たり前」 か、「出来るわけがない」 の
両極端などっちかの評価をされているので
ひねくれなければ、自己評価が低く逆に無欲になる。

それが吉と出るか凶と出るかは、ある程度までは良い線いくが
高レベルの競い合いになると、余程の天才でもない限り無力となるので
やはり、一流の選手にプレッシャーを感じる心は必要不可欠なのだろう。

毎回のオリンピックでは、報道の加熱もあって
選手たちが苦しそうで気の毒にすら思えるが、いらん世話なのだろう。
凡人は思い切り応援だけしとけ、って事だな。

Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です