私が幸せでいられる理由のひとつに
“他人と自分を比べない” という性格があげられる。
これだと、環境の具合や自分の不都合が明確にされないので
幸・不幸を自己申告で納得できるという利点があるのだ。
ただ、同様に他人同士を比べる事もしないので
状況が把握できずに、空気が読めない人になってしまう危険性もある。
てか、私はなってしもうとるようだ。
普段から人を比べて判断基準にしている人は
ひがみ、ねたみ、卑下、嘲笑、見下し をする事が多い。
これが人間模様ってやつか、と興味深いが、ふと気付いた事がある。
そういう人と話していると、今でもその人に中心軸があるのがわかるのだ。
私の中では私自身は、世界の端っこでその他大勢として存在しているのだが
その人の世界では、その人が世界の中心なのである。
だから何を見ても聞いても、「(自分と比べたら) ○○だね。」
という、( ) 内付きの評価をしているみたいだ。
私の場合、高校の頃に中心軸が自分からどんどんズレていくのを実感した。
もう自分が世界の中心じゃないんだな、と悲しかったのを覚えている。
何があったわけではないけれど、「まだ子供だし」 から
「もう大人なんだから」 に、周囲のセリフが変化していった事かな。
高校にもなってやっと? って感じだが、私はアホウだったんでな。
こうやって人は大人にさせられていく、と思い込んでいたが
大人になっても、人と自分を比べている人は大勢いる。
大人 = 自立 だろうけど、自立 = 比較しない ではないようだ。
常に世界に自分自身が存在する事の、良し悪しはよくわからないが
バトル場面が多すぎて大変じゃなかろうか、と思う。
どうも勝ち負けも自己判断をしているようだし
「自分に自信がない」 と思う人は
その脳内バトルで勝手に連敗しているからじゃないのか?
私のように、空気読まずのマイペースに思われるのも最悪だが
たまには勇者を休んで、城の王子あたりになっといたらどうだ?
(王様だと、荷が重いぞ)
とか言う事自体、ノホホンとしているようで鼻につくかも知れんが
私は私で、“私” というモンスターと、日々闘っているんだよっ。
私の不幸は全部こいつのせいなのに、凶悪すぎて全然制御できん。
こいつ、私の人生RPGのラスボスなんじゃねえの?
ああ、もしかして、他人と比べる比べないの分かれ道って
自分の中の悪魔に気付いてるかどうかかも???
背後に牙を剥いたケダモノが潜んでると知ったら
ウカウカよそに気を取られてもいられないと思うんだが。
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