化粧品カウンターに行くと、美容部員のお姉さんに必ず褒められる。
これは販売トークなので、素直に喜んでいたのだが
この前行った時に、褒められた事に思いがけずに激しく動揺して
その動揺している自分に、これまた動揺してパニくってしまった。
いつもなら 「デヘヘー」 で受け流せるのに、これはどうした事か?
対人恐怖症にでもなったんか? と、帰宅後に悶々と考えた。
それで出た結論が、“私は今、自分の肌に自信がないのだ”
という、ああーーー、気付かなければ良かったのに、みたいな結論。
自信って、なくすと取り戻すのに大変なんだよなー。
“お肌の曲がり角” と、よく言うけど
私にはそんな生易しい道のりではなく、落とし穴にしか思えない。
美容道は、階段なし金塊もなしのロードランナーだ。
背後から、モンスター “老化” がウジャウジャ襲ってくる。
今の私は散々逃げ回っては落ちる、の何度目かの落下直後で
肌のお手入れを放棄気味なのだ。
その代わりに、メイクに熱心になっている。
これが本末転倒な行為なのは、自分でも承知しているが
気力も老化してるんか、ちょっとグレているんだ。
この迷走が始まったのが、オイルフリーのお手入れを始めた頃で
そこで肌がガクッと落ち込んだ気がする。
その後に立て直そうと、オーガニックに手を出し
そのあまりの使い心地の悪さに辟易するけど
「あの使い心地の良い化粧品には何が入ってたんだ?」 と
逆に普通の化粧品に対する不信感がつのるという
だったらどっちに動けばいいんだよ? という状態。
これは、合うオーガニック化粧品を探せば
一番円満に解決できるとわかっているんだが
買った物は十二分に活用せざるを得ない経済事情があるので
使い切りしつつ見つけるなど、どんだけ時間が掛かる事やら
と、絶望的な気持ちが渦巻いて困っている。
でも今の年齢って岐路じゃないか?
こんな時にケチってたら、残りの人生、大後悔かも
てか、化粧品にそんなに頼るのはヤバくないか?
と、脳内グルグルの状態が続いていて、今一番のストレス。
ストレスは美容の敵なのに・・・。
おまけに、この前知人に 「水って大事だよねー」 と言われ
何の話かと思ったら、私の肌が関西に来てから凄く悪くなった
と指摘され、もう、自分終ったーヒャッホー!!! と落ち込んだぜ。
熊本は喜べ。 熊本の水は素晴らしいのね、と高評価になってるぞ。
関西に来た時期と、老化が始まった時期とが重なるので
都会の水のせいだけじゃないとは思うが
確かに浄水器を駆使しないと、テキメンに肌が荒れるので
加速システムにはなっていると思う。
今や、見た目年齢と実年齢のギャップを誇った私は消え
「うーん、実年齢ちょうどに見えたらラッキー?」 などという
私的にはありえない控えめぶりなのが悲しい。
落ち込んでいるので、悲劇ぶっているけど
冷静に見て、そこまで汚くはなってはいないんだが
コンプレックス以外の事って、脳内で美化するじゃん。
「私はもっとキレイだったはず」 とか。
年を取ると何でもかんでも衰えがくるのはわかってはいるけど
老化は誰でも初体験なので、いちいち動揺させられる。
そんで、その移り変わりに脳が対応しきれない。
美化した自分は若い頃のままだから
現実を見ると、必要以上に打ちのめされるんだよな。
私は、“何様な自分” がしっくりくるんで
早く以前の無謀な性格に戻りたいんだが
精神的回復が遅いのも老化の証しなのかもなあ・・・。
このまま、穏やかに年を取ってしまった場合に備えて
野獣なババアよりはマシ、とか自分に言い聞かせる準備をしとくか?
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