<質問>
かわいがっていたペットが死んでしまいました。
あまりにも急で、気持ちの整理がつかないのと、
世話に対する後悔が頭から離れません。
これら悲しみは時間が解決すると思いますが、
問題は、この先同じような悲しみが
あと何回あるのかと想像してしまうことです。
こんな悲しみがまだまだ人生の中に残っているのかと思うと、
生きていく事がとても嫌になります。
この気持ちも時間が解決するのでしょうか?
悲しみが癒されたとしても、
ペットがこの世界のどこにもいない事が事実だということに
変わりはありません。
この喪失感はいつか埋まるのでしょうか?
あと天国はあると思いますか?
<回答>
注: 最近、何を逃げ腰なんか、やたら前置きが多いが
挨拶やら言い訳やらは、メールで送ってるから
ここに書いてなくても、礼儀知らずだとか責めんでくれ。
死によって、生きる意味を考える人は多い。
また、死に直面しないと得られないものもあると思う。
そういう意味で、死は人間にとって最大の重要事だと捉えている。
こう思うのは、こう思う事で私が周囲の死を乗り越えている
言わば自己防衛のような考え方なのも、また事実。
身近な者の死に出会うと、悲しみ、喪失感、後悔が襲ってくるのは
ごく普通の事だろう。
皆そういう事態に陥って、それでも立ち直っている。
この感情がいつ治まるかは、人それぞれの考え方次第だ。
ちなみに私は両親ともに他界したけど
寂しさは数年経った今も、まったく治まらない。
それどころか、年を経るにつれ親への思慕が増して
一生この気持ちを抱えて生きていくのか? と、時々不安になる。
だけど、それで良いのではないか?
私の親は私にとっては、失った時に
こんな大きな悲しみを持つにふさわしい存在だったのだから
私が親に出来る最後の孝行は、この気持ちを大切にして
なおかつそれに耐えながら、マトモに生きていく事だろう。
これを本気で信じているから、私は今でも親を恋しがりながら
それを恥とも思わず、普通に生活していけるんだ。
死は永遠の別れだろうけど、気持ちの終わりではない。
天国があるかどうかはわからないけど
死の後に始まる何かがある気がする。
死は無で、何もなかったらないでも良いんだけど
万が一あったら、おおごとじゃねえ?
その時に慌てても遅いので、自殺は大反対しているのさ。
可能性がゼロじゃないのなら、いらん事はせんに限るぜ。
この先大事な人の数だけ悲しみが待っている、と覚悟しといた方が良い。
人生の一部だけその人たちと共有するのだから、別れはいつか必ず来る。
そんで、何かえれえ気恥ずかしい言い方になってイヤなんだが
その人との付き合いで、自分があげた心の分だけ
別れる時に悲しみが戻ってくる、と思うべき。
心を失うのだから、喪失感は当たり前だろ。
だから、悲しむのは悪い事ではないし
それでも耐えて生きていけるのを誇りに思って良し。
どんだけ心を切り取っても、まだまだ沢山持ってるのだから。
金銭で言うと、大富豪って地位だな。
ペットを失ったのなら、またペットを飼え。
亡くなったペットは、死ぬ事でおめえに何かを教えてくれたんだから
思う存分、いつまででもいいから悲しがっていれば良い。
それとともにこの先、何頭も何匹も何羽も幸せにしてあげろ。
ペットの存在に甘えるだけじゃなく、恩を返さにゃ。
おめえもいつかは死んで、誰かに多大な悲しみを与えるんだぞ。
その償いはどうやってする?
人は他人の死を大切にする事で
いつかくる自分の死の贖罪をしてるんじゃねえ?
持ちつ持たれつってやつで、そうやって生きていくのが人生で
それを虚しく思うのは、おめえに関わった生き物に失礼じゃないか?
そう考えると、輪廻ってのは
生物全体として考えていくものなのかも知れないな。
とりあえず、身勝手で輪を乱す事はするな。
悲しもうが落ち込もうが、とにかく生きて輪を繋いでいくんだよ。
まさに、“必死”、言い得て妙だ。
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