何を浮かれとんのか、久々に塗って塗って塗りたくった。
家で用意をした時は、万事OKだったんだが
外を歩いていて手鏡でチェックをすると、ものすごい白塗りになっていた。
こりゃ今日は上を向いて歩けん!!! とショックを受け
意識して、うつむき気味に行動していたんだけど
外出先のトイレでふと見たら、白浮きもしていなく
それどころか、どことなく美人くせえんだ。
でも手鏡で見ると、もんのすげえ厚化粧。
トイレの鏡との距離は約1m。
いつもの、“自然な化粧” の時は
外出先のトイレで鏡を見る度に、終っとる・・・と呆然とするのに
厚化粧だと、それをまったく感じさせない。
ちなみに私がした厚化粧は、肌作りのみ。
目や唇はいつも通り。
手鏡では毛穴の開きや、肌の白過ぎが気になるのに
1m先の鏡では、それがまったく見えない。
と言う事は、2mぐらい離れてみる場合には厚化粧が美しいって事か?
しかしこれは諸刃の剣じゃないかと思う。
他人と常に2mの距離感を保つのは
バリア機能でも装備してない限り、容易ではない。
例えば職場などでは、絶対に近距離で接する必要があるので
離れて見てキレイでも、「あの人、厚化粧だから」 と
結論付けられてしまう。
一般人だと、2m離れて済むのはすれ違うだけの
ロコツに真っ赤な他人のみである。
よって、この事実は知らなくても良かったかな、と落胆したけど
その日した厚化粧のファンデは、ミネラルファンデ使用で
(下地段階で、コンシーラーやカラーコントローラーでの厚塗りで
ミネラルファンデは普通塗り)
しかも白浮きする気がするオンリーミネラルの5番だったので
リキッドかクリームファンデなら、もしかしたら近距離でも
透明感を残した自然な仕上がりになるかも知れない。
これは要研究課題だが、実験してる内は
失敗厚化粧ババアに成り下がるような予感がするのが
とてつもなく不安である。
さて、先日まで美容に関して落ち込んでいたが
それはオーガニックコスメに切り替えて、化粧乗りが悪い日が続き
途中でキレて、肌断食とかやって、心が荒れてたせいである。
夏の猛暑の中、機能性に乏しいオーガニックコスメだと
使い心地は悪いは、肌になじまないはで、かなりのストレスになった。
涼しくなりしばらく経った今だと、ちょっと乾燥気味だけど
落ち着いてきたような肌状態になり、心も平穏を取り戻した。
そこで久々のはりきりメイクで厚化粧、なのだ。
ストレスは美容にも悪いが、お手入れマニアは
肌の状態や化粧品に一喜一憂し、それがストレスになるのだよ。
まったく本末転倒な話だけど、女心っちゅうものはそういうもんさ。
荒れてた頃は、私終った女として終った人間としても終った
と、試合放棄をしてすさんでいたんだが、見事に立ち尚った。
そう確信したのは、車の助手席に乗っていた若い女性が
わけがわからないのだが、わざわざ振り向いて私をガン見していて
前だったら、「え? どっか変?」 とオドオドしたはずなのに
「確かに私はババアだけど、おめえが私の年齢になった時に
私レベルの美 (顔の作りじゃねえぞ) を維持出来るかな?」
と、余裕でその視線を流せた事だ。
その女性がどういうつもりで凝視していたのかわからないので
ババアだの美だのは、こっちの一方的な被害妄想でもあるのだが
そういう高飛車さが私なので、その時にようやく
ああ、自分を取り戻せたな、と。
いや、人として取り戻さない方が良かった自分かも知れんけど
こういう根拠のない自信を持てるって事がいかに幸せか、ってのを
落ち込んでた時に実感したんでな。
お手入れマニアの私の場合は
自信がない時には、どんどん手抜き化粧になる。
余裕の手抜きではなく、放棄の手抜きなのだ。
そんで自信を持ってる時は、調子こいて塗りたくり
そんな事をしていると絶対に肌の調子を崩すので、それでまた落ち込む。
猿でも、もちっと学習能力があると思うが
この調子でメンタリティに超高層ビルのような波を持つのが私の習性。
今回の落ち込みでは、自分のこのパターンが判明したのでムダではない
・・・が、平穏時に “自分に合った適度なメイク” を探しておかないと
今後も波乗り人生が続くので、割に焦っている。
今頃 “自分メイク” ? と笑うなかれ。
年を取っていくと、ある時突然、今までの自分の積み重ねが
すべてワヤ! になる事があるんだよ!
まあ、こうあるから人生に終わりはないわけで
人間いつまで経っても勉強また勉強で、その気になれば退屈はせんよな。
というまとめでどうだ?
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