年賀状

私は年賀状を書かない。
理由はまさに、過ぎたるは及ばざる如し、だ。

学生の頃は、礼儀も時間もフリーダムが利いていたので
手書きの凝った年賀状を出していた。

最初は少々のイラストぐらいのものだったのだが
それが結構評判良くて、年々力が入っていったのが敗因である。

終いにゃ、家族が部屋に飾りたいから、という要望で
「おめでとう」 も何も書かず、葉書の全面に絵を描いたり
(だったら年賀状じゃなくて良いだろうに)
正月って結構ヒマだろうし、年賀状も画一的でつまらないだろうから
と、迷路やパズル、その年の干支でウォーリーを探せみたいな事をやり
新年早々電話で 「あの答はこれだよね?」 と、問い合わせがきたり。

これを30枚以上、手書きでやってると
毎日毎日、締め切り前の漫画家のように絵描きに追われ
この年末に自分は何をやっとんのか、何でこういう事態になったのか
いつまでこんな事を続けるのか、非常に疑問が湧いてくる。
で、引越しを期に、年賀状は書かない宣言になっちゃったのだ。

そのまま親戚やお世話になった人へもバックレをかましていたが
結婚したら、そういうわけにはいかない。

しかし幸いにもパソコンという文明の利器が出現したので
「ワタシパソコンワカラナーイ」 と
義務を全部夫に押し付ける事が可能になり
相変わらず年賀状とは無縁の生活を送る事が出来た。

ちなみにうちの親は、300枚もの年賀状のやり取りをしていて
さぞかしおおごとだろう、と危惧していたが
宛名書きも裏も全部発注していたので
お金を掛ければ世の中の大抵の事はパスできるんだな
と、自分には一生関係のない教訓を得たものだ。

この年末のクソ忙しい時期に、年賀状書きまで参戦したら
ほんと発狂できる予感がするので、今でも年賀状は見て見ぬフリなのだが
何と知人から年賀状のデザインを頼まれてしもうた。

こここここの年末のクソいそが略 と、激怒したかったけど
自分の過去の栄光 (年賀状の高評価) を
ついうっかり自慢した事があるし
そいつには日頃とても迷惑を掛けているので、断るのは恩知らず。

この中から選んで組み合わせて、と年賀状制作ソフトみたいなんを渡され
画像リストがあるんなら、自分で簡単にできるじゃん、と思ったが
いらん自画自賛をしたせいで、きっと芸術的な仕上がりを
必要以上に期待されているんだろうな、と激しくプレッシャーに。
ほんと、自慢をするとロクな結果にならんよな。
墓穴を掘るとは、まさにこの事だと猛省。

しかも会社の社長やお偉いさんにも出せる
シャカイジンとしてジョウシキのあるデザイン希望
という、私にとってはこれ以上ないぐらいの足かせ条件が。

もう、「謹賀新年」「明けましておめでとうございます」 で良いのか
「謹んで初春のお慶びを申し上げます」 が適切なのか
そういう礼儀作法が身に付いていないので、ワタワタとパニクりながら
念のため、真面目タイプ、スタイリッシュタイプ、奇をてらったタイプ
(と私が思う) 3パターンのデザインを作った。

結果、奇をてらったタイプに、思いもよらぬものすげえ賞賛をあびた。
他人が私に求めるものは、“奇” なのか
と、ちょっと複雑な気分になり、素直に喜べない自分がいる。

そいつの会社での立場が、正月以降どうなるかはわからんが
私側は一応褒められたので、恒例として天狗にならせてもらう。

もうこの時期に年賀状のデザインとか言ってるアホウはいないだろうから
来年の11月頃あたりに、私作の年賀状をアップしようと
今は野望に燃えているが、冷静に計算すると
11月は毎年、12月の大掃除強化月間にそなえて
とてもブルーが入っている時期なので
そういう芸術気分な余裕があるかどうかは定かではない。

来年の事を言ったんで、私の中の鬼畜が笑っている。

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