愛と恋は似ているけど、確実に異なるこの2つの違いは
愛は与えるもので、恋は望むもの。
なので、より広域的でいくつも持てるのが愛で
恋は、私の場合は一緒にいる限定1人のみに感じるものである。
“一緒にいる” を、わざわざ付けたのは
私の恋心にとっては、それが絶対的条件だからだ。
恋はいつか冷める、というのが定説であり
一般的に、という意味では、それを肯定しているが
私の恋心は、一緒にいる限り冷めない。
“一緒に” とは、「私の心の中に」 とかいうメルヘンではなく
夢もへったくれもない、物理的距離である。
よって、私の恋心には遠距離など無理。
側にいないと、さっさと冷めてしまう。
私の恋は、何よりも物理的距離が大事で
逆に言えば、それさえ守ればテンションが下がらずに恋される
という安心感を保証する。
それはそれで、とてもうっとうしいだろうが
数日留守をした程度で、すぐ冷められるんで
恋愛相手としては結構やっかいな人種だと我ながら思う。
つまり私の恋心は、はっきり言うと “執着”。
そこまで自分を貶さなくても、と思われるかも知れんが
執着だろうが何だろうが、恋と同じ態度ならどっちでも良いんじゃないか?
こうやって冷静に分析してるからこそ、あまりダダはこねないし
ストーカーにもならずに済んでいる。
恋は苦手だが愛を知っているので、人生的には何の問題もない。
て言うか、イヤなら私の恋愛スイッチを入れんでくれ。
そしたら絶対に無事だから。
では、いつか冷めるであろう恋は、どうすれば良いのか。
恋をして結婚しても、冷めたからと言って離婚してたらキリがない。
恋も分類上は愛科に入るので、変化させれば良いのだ。
現に多くの夫婦はそうやって一緒に生きている。
夫婦と言っても実際は、まごう事なき他人なので
真の家族になるには、特別な感情が必要になる。
それは尊敬。
相手を大切にするには、人権などの道徳では心が付いていかない。
尊敬できなければ、尊重も続かないのである。
“尊敬” とか言われると、偉大な感情に思えるだろうけど
日常の尊敬は、感謝できるか、これ1個に尽きる気がする。
色んなものを省いて、無謀な簡略化をしているようだが
要するに、見下している相手に感謝はしない、って事。
人生、そう難しく考えない方が、スムーズに進むもんさ。
結局、人間、最後は人格
尊敬されるような人格じゃないと
恋人としても家族としても、上手くやっていけない。
うーん、私のファミリーライフ終わった・・・、ってのが結論か!
書いてて、ふと思ったが、血って凄いなあ。
他人が家族になるには、色んな条件が必要になってくるけど
血の繋がりがあれば、どんなヤツでも捨てられない家族だもんな。
私はあまり “血の繋がり” は重視しておらず
子供が欲しくても出来ないなら養子で良いじゃん、って考えだが
現実には、いたるところで感じる、この血の繋がりの強さ。
こんな強力な結びつきだと、悪い方に転がった時が恐ろしいぜ。
我が親戚一同の皆々様、本当に申し訳ございません。
何でこんな記事を書いたかっちゅうと
安全地帯 (名前忘れた) と石原真理子の結婚のニュースをTVで観て。
石原真理子のブログのポエムっぷりに感動して
私もたまにはポエマーになりたくて書いたら
思いがけずに、こんな殺伐とした方向になってしもうた、というわけさ。
はあ、やれやれ・・・。
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