病弱

深窓のご令嬢のたしなみとして、私は病弱である。
病弱にも色々あるだろうが、私の仕様は
1年の3分の1は原因不明の微熱が出る事。

幼い頃から、すぐ病気になるガキではあったが
より一層、体がダメになった事件が2度あった。
この話は長くなるので、また鬱憤でも溜まった時に
被害者ヅラしてギャアギャア言う事にして、今回は略。

病気持ちって人は大勢いて、その人たちも大変だろうが
原因不明の病弱ってのも、中々辛いものがある。
いくつもの病院で、あらゆる検査をしても原因が判明せず
最終的には精神科を勧められる。

自分でも、自分の頭がおかしいんじゃないのか、と悩み
甘えている、自己管理が出来ていない、と責め続ける内に
本当に精神的におかしくなってくるのだ。

今でも私の体質は相変わらずだけど、自分を追い詰める事はしない。
「他人の病気など迷惑なだけ」 と言われた時に
ああー、そうだよな!!! と、激しく納得したからである。

他人もウザかろうけど、自分でも自分がウゼえんだよな。
毎日毎日、どこが悪いここが悪い、と思う人生がうっとうしい。

それに気付かされてからは、自分に同情を一切しなくなった。
自分が不遇だろうが、しんどかろうが、そんなのは無視。
体の訴えを真に受けて病院に行っても、どうせ原因不明なのだ。
どうにも出来ないなら黙って耐えとれ、と突き放すようにした。

自分か幸せか、どっちか選ぶなら、幸せを取る。
自分自身が幸せの素とは限らない。
裏切り、嘘を付き、足を引っ張る心や体もあるのだ。
もう私は自分の心と体を信用しない。

よって、自分からのたわごとは一切聞く気はない。
専門家にわからん理由は、ないも同然と見なす。
言いたい事があるなら、対応出来る材料を持ってこい。

そして体がきついのが通常の私、ラクな時はラッキーデー。
普通のメンテはするけど、それ以上は構わない。
そう決めてからは、どっかが痛かろうが熱があろうが
どんな状況でも、可能な限り “普通” を過ごしている。

病弱な自分など、正直この世界には必要ないと思う。
いてもいなくても一緒、むしろいたら迷惑。
だけど生まれてきた以上、生をまっとうする義務があるんだ。
これは誰のためでもなく何のためでもなく、そういう決まり。
たったそれだけの理由で、私はその義務を果たす。

どんなに辛くても、それを口にせず普通に振舞うように心掛けてきた。
きつい時にきついと言わない、辛い時に辛いと言わない
それでいて平気で人生を送れる
結構な無理難題だけど、そういう自分を目指している事に迷いはない。

そうこう、ジタバタとあがいていたら
最近はここのブログで、グチグチ言えるようになったし
リアルで自分を律している分、ほんと助かっている。
今回の記事も、リンパの腫れで寝込んだ鬱憤晴らしだし
思いがけない助言も貰える、これも救いのひとつだ。

それでもしんどい時に、すれ違う人々を見て
健康なんだろうな、羨ましい・・・ と思う事も度々ある。
普段、どう虚勢を張って生きていようが
どうして自分の体はこうなんだろう、と落ち込む時もある。

だけど先日の姓名判断で、見事に私の状態を当てられ
書いてある内容は悲惨だったけど、ものすごく気がラクになった。
自分のせいじゃないんだ!!! と。

心のどこかにいつも、自分のせいだというカケラが刺さってたんだ。
それが運命で、誰のせいでもないって事が、こんなにラクになれるなんて
私は実は心の底では、自分を親を恨んでいたんだな、と自覚した。
体も運命に翻弄されて大変なんだな、と多少の同情はするようにするよ。
戯言は聞かんけどな。

あっ、一生病弱なのは覚悟してるから、それは変わらんでも良いんだ。
世の中には、私には想像も付かない苦がたくさんあるだろうけど
これは、私だからこそ背負えるジャンルのハンデだと自負している。
そんで占いはもう見ない。 わざわざダメ出しはされたくねえし。

人付き合いには、やはり支障は出る。
体に無理のない範囲でしか付き合えないので
それ以外でフォローをするようにしているけど
それでダメだったら、しょうがない。

小さい頃から私を見ている親でさえ、私の事を情けなく思っていた。
ひんぱんな外出、旅行などに付き合えないからである。
親でさえこうなら、他人がどう思うか、推理は楽勝だろ。

人は他人の痛みを理解しないもの、それで良いじゃないか。
この考えは、自分への免罪符でもあるんだ。
自分だって、他人の辛さは真にはわからないんだから。

理解されて同情されてチヤホヤされるのが理想的だが
そんな都合の良い世界はなく
使えないヤツは、相手にされなくなるのが世の摂理だ。
でも、許してくれる人々ってのは絶対にいる。
満足しているわけではないだろうけど
自分で自分の尻を拭おうとしていると、助けてくれるのだ。

自分に厳しくしていると、代わりに優しくしてくれる人が現れる。
そういう巡りみたいなんが、何となくあるような気がするから
私も自分の代わりに、他人の事を甘やかすようにしている。
人はそれぞれ、ひとりで内なる闘いを繰り広げているからである。

Comments

“病弱” への4件のフィードバック

  1. 大きな小人のアバター
    大きな小人

    今回の話もとても共感出来ます
    自分も何が起きても平気の平左で行きたいです
    所詮、この世は人それぞれの心の中の世界だと心次第でどうとでもなると考える様になりました
    ここのブログに出会えた事、感謝です

  2. あしゅのアバター
    あしゅ

    この記事さ、自分の心の闇のようなもんで
    それを書く事で、背水の陣を斬った感じで
    アップした後に後悔もあったんだけど
    ヌルく受け止めてくれてありがとう。

    私の人生で、自分を真っ当な方向に変えてくれたのは
    どっちかっちゅうと、“言っちゃいけない言葉”
    の方が多かったんだ。

    記事内の 「他人の病気は迷惑」 とか
    普通は言わないよな。
    でも、私はそれで傷付いたけど、目が覚めた。
    そういう経験から、私は残酷な言葉を言うのかも知れない。

    今は、それを “自分” がして良いのか、模索中。

  3. のんのアバター
    のん

    感銘を受けて涙が…(/_;)

    確かに自分に厳しくしてると助けてくれる人が現れますね…

  4. あしゅのアバター
    あしゅ

    のん、春は意外に心が弱るから
    いつもよりドライに生きるよう、心掛けれよー。

    暖かくなると、脳が働かなくて参るぜ。

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