もう今回の病気は、ほんと死にたくなった。
高熱とリンパの激痛が2週間も続けば
そりゃ気力も削がれて、死にたくもなるさ。
ちなみに、死にたくなるほどの病状はどんなだったかっちゅうと
辛さの大きさより、時間がダメージだった。
ものすげえ辛いのは数日ならば、何とか耐えられる。
だけど微妙な辛さでも、10日ぐらい続くと精神的にキツくなる。
今回の病気は、命に別状がない事はわかっているし、慣れてもいる程度。
ただ長期戦になったんで、途中で嫌気が刺しただけの話だ。
あの状態で公園で野宿してても、死なないと思う。
自分の価値やら、生きてる意味やら、見えない未来やら
そんな事をグルグル考えてしまい
おまけに、もんのすごくマイナス思考になっただけの話。
体が元気になってきたら、「くだらん!」 のひとことで
済ませられる、この落差も、とても不思議である。
結局、精神にまでダメージが行くと
自分でもありえない考えをしてしまうんだろうな。
病気中はメンタルケアが必須だ、と改めて知った闘病だった。
で、真剣に死にたいなんて、滅多にない良い機会なんで
うなされながら、命について冷静に考察してみた。
死にたいとは思うものの、死のうとは思わない。
これは何故か?
何かよくわからんけど、本能的に自殺はヤバい、という気がする。
こうやって病気をした時にわかるんだが
自分の心は自分のものだと思えるんだけど
自分の体は、どうしても自分のものだと思えないんだよな。
自分の意思でどうこう出来ない、っちゅうか。
何故、自殺がヤバいと思うのかと言うと
その “自分のものでない体” を破損するからだと思う。
ファンタジーな話になってくるが
この世に生まれる前に、何かを契約してる気がするんだ。
それを脳にインプットされているから
契約破棄になるような事はヤバい、と感じるんじゃないだろうか。
ボーリング場に行くと、無条件でシューズをレンタルせにゃならん。
あれと同じで、「地球で生きるなら、この体ね。」 と
どっかからレンタルしたんじゃないか?
そんで、その “どっか” は、十一、十三よりやっかいなとこで
借りたものに傷を付けようものなら、どんな目に遭わされる事やら
どんなに辛くても、契約終了まで耐えた方がマシ、みたいな。
中にはマイシューズ持参もいるだろうけど
そういう人々は、“恵まれた” 属性に入ってるんじゃないだろうか。
私が死なないのは、契約であって
やっかいなところに白紙委任状を出したも同然な気がしてならない。
こう考えると、命ってのは体に心が入った時点で
発生するものなのかも知れない。
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