世の中、90%の事はお金で解決できると思っている。
だがそれは、ケタ外れの大富豪の場合である。
私の人生は、お金に不自由しない時期と、貧乏期の繰り返しである。
現在は、私の歴史上、2番目に貧乏だが
多分、浩史くん (三木谷) クラスが迎えに来ない限り
2度と浮上する事はない、と予想している。
私の大当たりサイクルは、どうやら打ち止めのようだ。
不思議なもので、お金に不自由していないと物欲がなくなる。
性格的に、ひとつの物に固執して使い倒すので
元々物欲自体はそんなに発達していないのだが
お金があると、「いつでも買える」 と思って余計に買わない。
逆に貧乏な時は、あれもこれも欲しい。
しかも良い物が欲しい。
そして何とかして買ってしまう。
心細い時ほど頑丈な鎧が必要だから、物で補いたいのである。
お金はあるに越した事はない。
しかし私の経験上、お金がある時に限って精神がモロくなる。
小金では買えない “何か” が、自分に足りない気がして
心がどんどん飢えてくるかのようだ。
懐が暖かいと、かえって心が凍えていく。
逆に貧乏だと、そんな腹の足しにもならんようなものより
とにかく食料品! 日用品! と、やけに現実的で心が健全なのだ。
思うに人間ってのは、必ず “足りない何か” を
探す習性があるのではないだろうか。
裕福時と貧乏時の私は、どっちも私そのもので何の違いもない。
なのに、ありもしない足りない何かを探してしまうのだ。
(いや、人間的には足りないものだらけなんだが。)
富豪のステータスは、ボランティアだと聞くが
これも実は、似たような心理のような気がする。
恵まれない人々を救って、自分の存在価値を確認したいのだ。
そしてその存在価値が、善意で出来ていればなお良い。
人を救う事は、社会を作る事と同義である。
自分の中の空虚を、社会を構築する事で埋め
真に足りない何かは、自分の善行を見た神が補ってくれるはず。
意識せずとも、こういうプログラムなんじゃないのかな。
とりあえず私的には、今欲しいものだらけで
しかもそれが贅沢品じゃなく、入浴剤だとかフライパンだとか
ほんと必要な日用品であるとこが、良いんだか悪いんだか
いずれにしろ心は健康である。
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