ここ最近って、自分で自分を許せなくて、追い詰めて苦しむ
っていうヤツが、すごく多い気がする。
社会は、「個性」 とか 「人それぞれ」 とか言いつつも
枠組みはきっちり備えているわけで
マニュアル化されて、垂れ流される “基準” を
真面目なヤツほど重く受け止めて
ちょっとでもそれから外れると、悪い事じゃなくても
罪悪感を持ってしまうんだと思う。
これを “良いヤツ” だと言わずして、誰を善人扱いする?
実際に、運命もそう思ってるはず。
と言うのも、悩み苦しんできたヤツは
歳を取ってから、実に満ち足りた “今” を過ごしている。
人生、死ぬまで勉強、とか言うけど、確かにそうだけど
同じ位置にいても、何か心の余裕ってやつが違うんだよな。
そういうヤツらが必ず言うのは、「今が一番良い」 である。
迷いまくってた若い頃には戻りたくない、って意味ではなく
昔にあがくだけあがいたから、その時代には未練はなく
これからはマイペースで歩いていきたい、みたいな。
もう、すんげえ羨ましいよ。
私なんか、いつまで経っても考えなしのアホウだったから
ババアになった今、むちゃくちゃジタバタしてるぜ。
果たして寿命切れ前に、心の余裕が出来るのかすら危ねえ。
それもこれも、苦に気付く感受性がなかったせいだと思う。
何も考えずにきて、今も何も考えずにいるヤツは
割とイヤなヤツになってしまっているんで
遅くなってもアタフタしてる方が、まだマシかも、とも思うんだが
現在の私のカテゴリーが、悪寄りじゃない自信がないので
何ともかんとも、いやはや、やれやれ。
世の中、やっぱり総合するとプラスマイナスゼロだ。
ラク → 苦 → ラク → 苦 と、人生はループしてる。
これは、まとめ払いが出来るようで
何年も何年も苦しんだら、その後何年もラクでいられるようだ。
ジジババになってからの幸せって、価値半減じゃねえ?
とか思うかも知れん。 私もそう思ってた。
ところが実際にジジババになってみるとな
若い頃なんて人生のほんの一瞬だ、というのがよくわかるんだ。
ジジババになってからが長え長え。
そんで、何か深くなる。
若い時は浅瀬でバチャバチャ遊んでいたのが
歳を取るほど、色んな事の底がどんどん深くなって
うおっ、今からが本番かい! と、ビビらされる。
“老後” って、隠居のイメージがあったけど
ものすごいアクティブなものだったんだな
と、戸惑っている真っ最中の私が言うのだから、間違いない。
だから、苦しんでいるヤツの未来は明るい、と予言する。
苦しんどいて、損はなし。
ただし、“正しく” 苦しむのが大事だと思う。
“正しく苦しむ” というのは、解決しよう乗り越えようとあがく事で
その苦しみ自体に目を向けてはいけない、って事。
ケーキを作ろうとしてるのに、無塩バターを丸かじりすな、って話だ。
どうせ腹の中に入ったら一緒だろうが
小麦粉、砂糖、卵、と材料を別個に食ってたら意味ねえだろ。
出来上がったケーキは美味いが、作る過程も楽しいヤツには楽しいのさ。
だから、その材料ひとつに囚われていては進めない。
苦しみは人生を作る材料でしかないのだから。
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