未調理を “卵”、調理済みを “玉子” と言う、と聞いたが
変換の解説では、料理名は “玉子” と表記するらしい。 ほお
じゃあ、“たまごごはん” はどう書けば良いんかな。
“卵ご飯” だと思うんだが
まさか卵の殻を割る行為は調理には入らんよな?
今、卵ご飯の本が売られている。
うちの卵ご飯の立場は、食欲もおかずもない朝食の時用。
そんなウィダーインゼリー的役割のメニューが
何の脚光を浴びているのか? と、本をパラ見したら
卵ご飯の上に乗せる具のバリエーションが載っていた。
めんたいこを焼くだの、シャケを焼くだのしてたら
それはもう立派な料理行為じゃねえか?
目玉焼きすら作りたくない、食えない、って時の
手っ取り早い栄養補給だろうが、卵ご飯ーーーーーっ!
と、ひとり発奮したが、そこらへんの感覚にズレが生じた場合
絶対に、自分の方が間違っている自信があるので
静かに本を閉じて置き、美容雑誌と攻略本を買って本屋を出た。
卵ご飯、もう何年も食っていない。
朝は相変わらず、料理などしたくねえし食欲もない。
なのに、卵ご飯の出番がないのには理由がある。
卵ご飯は黄身しか使わないのが普通だと思っていた。
結婚中にそれを目撃されて、白身の行方を訊かれて
正直に 「海へ還っていった」 と答えたら
「何ちゅうムダを!」 と、ものすごく怒られたのだ。
実はご飯が多い時は、黄身2個を使ってたりしていたのだが
そんな告白は火に油どころか、火事にガソリン缶投入にも等しいし
「スタッフがおいしくいただきました」 などという冗談も
許されないであろう空気で、ただただひたすら罵倒された。
白身利用の料理にとっておけ、と言われて困ったんで
ためしに卵全部を使った卵ご飯を食ってみたが
私には合わない味で、これじゃ卵アンドご飯の両方がムダになる。
よってそれ以来、私式卵ご飯に罪悪感を感じて食っていないのである。
ここで自己正当化のために、やたらと白身を侮辱した意見を述べるが
通常の卵料理でも、白身って黄身がないと立場ないよな。
正直、白身、結構な確率で邪魔くせえよな?
と思っていたんだが、黄身が大嫌いで白身が好きなヤツがいるんだ!
アレルギーとかじゃなく、単なる好き嫌い。
目玉焼きで、黄身だけ残すんだ。
今までに2人いて、どっちも成人男性だった。
親の知人、親戚の知人とかで、目上の第三者だったんで
私の白身とあなたの黄身をトレードしよう、とも言えず
オムレツや玉子焼きは食えるのかも訊けず
私の好奇心に、ものすごい波紋を投げかけただけで終わった。
自分以上の偏食家が存在したのも、とても嬉しく
調子こいてかあちゃんに訊いたら、ここぞとばかりに
他人の好き嫌いや食べ方をどうこう言うもんじゃありませんでも自分の作法はきちんとしておきなさい一旦お箸をつけたら何があっても全部食べなさい残しちゃいけません食べられないのなら最初からお箸をつけないように
と、しつけに流れていったので、白身好きの言い分はいまだに謎である。
余談だが、「箸をつけたら最後まで食う」
このマナー、偏食の少食にはむちゃくちゃ辛いルールである。
偏食ってとこで、既にしつけが悪いんだが
どうも “美味い” と取る味覚が、幅狭い仕様のような気がする。
よって会食などでは、ほとんど箸をつけられず
逆に腹を減らして帰る事が多かった。
お陰で、社会に適応できねえできねえ。
ところが、私がそろそろイイ大人の年齢に足を突っ込んだ頃から
周囲の意見が変わってきた。
とにかくひと口でも良いから食べなさい
と、真逆に方向転換したのである。
最初はどういうこったい? と、とまどったが
食わない → 痩せている で、心配されたんだと思う。
多分あのあたりの頃から、日本は真の飽食の時代に突入したんだろう。
私から見ると、飽食は明らかに出る量の多さが問題だと思うが
食い散らかしても責められないのは、とてもありがたく
現在の食事会では、それなりに腹を満たして帰る事が出来る。
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