不公平

子供がジュースをコップに注ぎ分ける時に
ミクロン単位で同量にこだわるガキがいるだろ。
あれは小さな不公平感の表れじゃないかと思う。

公平感じゃなく、不公平感。
何故なら、ひとりっこにこういう事をする子は少ないからだ。
不平等の実感がないと、“公平” には気が回らないものである。

まあ、こんなんは大人になっていくにつれて消え去り
成長の過程での経験として活かされるが
たまに、この不公平感を大きく育ててしまうヤツがいる。
これがまた、ドグラに多いのだ。

こういうヤツらは、ギブ & テイク や、権利と義務
あれをしたからこうなる、という物事の流れが読めていない。
他人がちゃんとやってて頑張ったから受けられた恩恵を
「ずるい」「不公平」 と妬みひがむ。
何もせずに良い思いだけをするのが、幸せだと思っているのだ。
その感覚こそが不公平なのに。

私の人生の結論は、“プラスマイナスゼロ”。
プラスを得るには、マイナスも受け入れなければならず
空から降ってくる幸運は、滅多にない奇跡扱いしている。
ラッキーな目に遭えば、逆にその反動の祟りが恐い。

だがこれは、私ひとりだけの世界の中での話である。
社会の中のひとりとして見ると
私の人生はマイナス層に分類されるであろう。
もっと幸せな人は大勢いる。

だが、それで幸せな人をうらやんだりはしない。
今の境遇は全部、自分の無意識の選択の結果なのだ。
だけどきっと何度やり直しても、今と同じ結果になったであろう。
あの頃の私は、やっぱり “あの頃の私” でしかなく
自分で変えられる人生があるとしたら、それは未来にしかない。

今、“格差社会” という単語が飛びかい
えらく不平等であるかのような話になっているが
そもそも世の中は、はなから平等ではない。

色んな要素で人間は分類され、区別差別をされている。
人の命も等価ではない。
高い命と安い命とある。
平等だった世界が、歴史に存在しないのだ。

色んな平等思想が蔓延しているが、それらの解決は出来ないであろう。
何故ならば、人はひとりひとり違うからである。
すべて同じじゃないと、必ず不公平感が出てくる。
外見では見分けの付かん動物ですら、個体差というものがあるので
人間など、もはや個性自体が平等の敵になってしまう。

しかし逆に言えば、不平等が世界を発展させている。
不自由だと思えば、自由への道を探り
面倒な事は、いかに楽に出来るようになるかを考える。
マイナスがないと、意識は変わらないのである。
だから世の中、不公平で良いじゃないか、と思う。

なのに今このように、“格差” とか不公平感をあおる言葉が流行るのは
その不満で社会をどうしたいのだろうか、と一連の不穏な流れを感じる。
諸悪の根源は、義務や責任のない権利を求める人々じゃないかと思う。
自分が得をしたいだけ、という欲望のみの不公平感は
人間を最も醜くする感情だと思う。

私の考える、真の平等に必要な仕組みはたったひとつ。
“自業自得絶対発動システム” を人の心に搭載する事だ。

良い出来事も悪い出来事も、すべて自分がもたらしている
この世は結構、そういうルールのような気がするぞ。
だから今の時代は、やはり大体のところにおいて平等なんだと思う。

Comments

“不公平” への2件のフィードバック

  1. のんのアバター
    のん

    私も自分の人生に起きる出来事は、良い事も悪い事もひっくるめて全て自分のせいであると思っています。
    なんでも運や人のせいにするのはおかしいと言うか…そう思ってしまうと余計に人生辛い気がします(笑)

  2. あしゅのアバター
    あしゅ

    私も全部、自分が悪いと思ってしまうよ。
    そうは見えないだろうけどさ。

    でも、これって自分を追い詰める事にも繋がるんで
    その時その時の正確な状況判断は、やっぱり必要だと思う。
    あと、嘘でも 「違う」 って言ってくれる人も。

    自分が悪いと思うヤツは、どう言われても
    結局は自分を責めてしまうんで
    周囲の 「そうじゃない」 という意見に甘えてしまえない。
    だけど、その言葉にものすごく救われるんだよな。

    反省はすべきだけど、自己嫌悪は良くない。
    そのバランスが取れないのなら
    付く必要のない傷まで心に付いてしまわないように
    人に迷惑を掛けない範囲で、自己正当化をすべきだ。

    自分を大事にする、ってのは、そういう事だと思うんだ。

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