私が一番好きなものと言うと、即答で “とうもろこし”。
それも主流の甘くて瑞々しいハニーバンダム系のやつじゃなく
硬くて粉っぽく甘くない、穀物! といった感じのやつである。
これが今、なかなかない。
熊本時代は、阿蘇までわざわざ買いに行ってたのだが、それでも甘く
かあちゃんのツテを頼むも 「あそこんちの娘は飼料のとうきびを食う」
と噂されるからイヤ! と拒否され、あの穀物とうもろこしは
いまや牛の腹にしか入らないものになってしまったんだ
と、ものすごく悲しかった。
この飽食の時代に、好物が牛のエサなどとは
まったくもって情けない、と思うかも知れんが
あの穀物とうもろこしを一度食ってみてもらいたい。
茹でた後にしょうゆをつけつつ網焼き、と
えらく面倒くせえ調理をせねばならんが
その手間を掛けただけある、香ばしい味なのだ。
で、明日地球が滅亡するとか、明日死ぬとかいう時に食いたいもの
これも即答できる。
さ き い か だ!!!
あらら・・・、と思ったヤツも多かろうが
うん、このラインナップは、我ながらさすがに物悲しい。
しかし、あの何の添加物かわからん甘い味付けに
噛みごたえのある食感、もうすべてがLOVE!!!!!
だがこの大好きなさきいかを、自主禁止している。
食い始めると止まらず、飯は食えんは気分は悪くなるは腹は壊すは
あごや歯茎は痛くなるは、歯の詰め物は取れるは
ほんとーーーーーーーーーにロクな事がない。
私にとっては、呪いの食物、禁断の果実も同然の存在である。
食う事は “栄養摂取” と、義務付けねばならんほど
偏食で少食で栄養吸収が悪い不健康な人間としては
こんな悪魔の食い物は、避けねばマジで生命に関わる。
それが明日死ぬ、とかなったら、栄養なんてどうでもいいわけで
気分が悪い腹具合が悪いなど、逆に死でラクになれるから
これ以上に最後の晩餐にふさわしい食い物はないと思う。
よって、さきいかを思う存分食いまくって死にたいんだが
問題は、“明日死ぬ” とわかるかどうかだ。
確率的に点滴摂取程度で臨終、の方が可能性が高いんで
私が残りの人生でさきいかを食う事があるのか、定かではない。
ほどほどに食えば良いじゃん、と自分でも思うが
酒の席でたまに見かけるが、見たらいけない、と目を逸らしているほど
一旦食い始めると、歯止めが利かんものなのだ。
少量に抑えても、毎日食い始める事が目に見えてわかる。
さきいかが家にあって食える、という状況が嬉しくてしょうがなく
必ず毎日何回にも分けて、チマチマ食ってしまう。
そうなると、徐々に徐々に腹具合がおかしくなる。
毎日食うべき飯も、さきいか分マイナスされる。
何か、ジワジワとさきいかに健康が侵食されていく感覚。
薬でも趣味でも、常習性のあるものには手を出さないのが安全だろ。
私にとって、さきいかはそういうジャンルの食い物なのである。
最後の晩餐に何を食べるか?
この問いの答は、各自一度は考えた事があるだろうが
決める前に、ひとつ助言したい。
私の “さきいか” のように、長い説明を必要とし
また説明しても、理解してもらえるかわからん食い物は
やめといた方が無難だ、という事だ。
そもそも最後の晩餐など、某宗教の大物か死刑囚ぐらいしか縁がない。
大抵のヤツの最後は、飯どころの騒ぎじゃないんで
そんな実現性の低い問いは、格好つけた答を用意しとくべき。
うかつに本音を答えて、かあちゃんに激しく嘆かれて
ものすごく申し訳なく思った私が言うんだから、間違いない。
そんな私は、訊かれたら社交のひとつだと割り切って
「母の味付けの卵焼きかな」 とか、キレイ事を言うようにしている。
いや、それも実際にもう一度食いたいものだし、丸っきり嘘ではない。
不可能だが、最後の晩餐も一般庶民には不可能だからお互い様だ。
でも万が一、最後の晩餐状態になったら、必死こいてさきいかを所望するぞ。
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