私は小説を読まない。
長文が読めないくせに、活字が好きなんだが
物語を楽しみたきゃ、映画を観れば良いし
文字を読みたきゃ、雑誌やノンフィクションを読む。
ネットはいかん!
いや、最近つくづく感じるんだが、モニターって発光してるよな?
その光が、半端なく目にクるんだよ。
TV画面もそうなんだ。
うちはまだブラウン管なんだが、すんげえ眩しい。
PCモニターもTV画面も、どっちも光度を最小限ギリギリにしてて
ただでさえ暗い場面が多いオカルト映画なんか
8割ぐらいほぼ真っ暗なシーンで、何が起こっとんのかさっぱりなんだが
それでも眩しいんだ。
目が疲れて、目の奥が痛くなって、連動して頭痛がして
何かもう2時間も見てると、辛くてしょうがない。
歳を取ると、モニター系は凶器になる。
その点、紙は発光しない。
光を反射はするけど、モニターほどではない。
しかし難点がある。
紙媒体は有料なのである。
そりゃPCもTVも無料ではないが
同じだけ楽しもうとすると、紙系の方が莫大な費用が掛かるんだ。
よって最近は買う雑誌でさえ厳正な選択を強いられておる。
何か話が逸れまくっとるが、とにかく私は小説は読まないのだ。
うちの親は、遊びたい盛りの幼児の誕生日プレゼントに
よいこの図鑑全巻セットやドリトル先生全集を贈る大馬鹿者だった。
(他に何も娯楽がないド田舎だったので、図鑑は面白いものだったんだが
ニンテンドーが頑張ってる現代のガキがほんと羨ましいよ。)
周囲の大人たちが、私の情緒が欠落しているのに気付いていたのか
しきりに本を読め本を読め、と言いまくっとったんで
高校は本を読もう、と思い立ち
今思えば、単に勉強をしたくない言い訳なだけだが
1年ちょっとぐらい、毎日毎日小説を読んでいた。
それが、大正?昭和初期?ぐらいの作家の本で
一日に2冊とか読む時もあったんで
教科書に出てくる作家たちの本は、ほとんど読んだと豪語してもいい。
しかしな、“読む” 事だけを目的にしたせいか
内容どころか、何を読んだのかもキレイさっぱり忘れてしもうた。
ばかりか、作家の憂うつが移ったんか、ウツ気味になってしまって
青春時代にこんな事をしててはいかん! と、気付いて
その後は遊び狂ったさ。
学生の本分は勉学だと言うに、何を考えとんのか
お陰で私の高校時代は、タメにならん3年間だったぜ。
てかさ、文句が恐いんで名前は伏せるが
ああいう作家たちって、何であんなに陰気なんだ?
思春期の少年少女が思い悩むような、自虐思考で
もしかしたらそれが “少年の心を忘れない” ってやつなんか?
こんな感想しか持てなかった私には
情緒を補うための読書は、正直ムダな行為だった、と言えよう。
こういう経験が、小説を読まない生活に繋がっているのかも知れない。
ところが、ここに来て知ったが
小説は、“書く” のは、とても楽しいんだ!
頭の中で話がどんどん広がっていって
まるで映画を脳内で観てるような、そんな楽しさがある。
これは多分、“ジャンル・やかた” の話は最初に夢で見て
その時に設定がちゃんと決まっていたから、もあると思う。
話の大筋や登場人物は固定されていたんで
後はその続きを、夢を見るごとく脳内で妄想すりゃ良いだけなんだ。
話の内容がさすが私の夢だけあって私好みなんで、妄想するのも楽しい。
ま、それを文章にせにゃいかん、という困難はあるが
私の妄想は、ほとんど言葉のみなんで
それを繋ぎ合わせれば良いだけだから、何とかどうにかやっている。
と言うわけで、今のブログでの私のストレス解消は
この “ジャンル・やかた” である。
あっ、「面白くない」 という意見は聞かんからな!
あえての補足で、このブログ全体がつまらん、という意見もだ。
この小説もどきの記事は、自分の楽しみになってるんで
色々と言いたい事も山ほどあるだろうけど
しょうがねえなあ、と目を逸らしてくれ。
皆にも小説を書いてみるのをお勧めするよ。
やってみると、結構楽しいかも知れんぞー。
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