目覚めたアッシュは、珍しく爽快だった。
衝撃続きの最近の展開に、一気に老けた気分になっていたのだが
まだまだ私の美肌健在!
アッシュは天狗感覚を取り戻していた。
その勢いで、今後の予定も決めた。
やっぱ私は天狗になってこそ、私なんだよなー。
アッシュは珍しくハイテンションだった。
「勇者よ、旅立つのじゃー、さあ冒険の始まりですー
♪ ちゃらっちゃちゃっちゃ ちゃっちゃー ♪
これから4階に行きますー。
だけどただの4階じゃないんですー。
何と! ジャジャーーーン! 南館の4階ですーーー!」
アッシュがそう言いながら、クルッと回って
両手を広げ、左足を前に出し右足を後ろに流し、膝を曲げて軽く会釈をした。
ドア口のアッシュの道化を見せられて
呆然としたローズと、アッシュの後ろを通りがかった女性の目が合い
通りがかりは気の毒そうに目を逸らした。
ローズは、ものすごい恥を掻かされた気分になったが
やっと自分の出番が回ってきたので、無言で廊下に出た。
階段の前に来て、ローズがやっと口を開く。
「南の4階はあそこだけど、この階段をホールまで降りて
向こうの階段を4階まで上らなきゃならないよ。」
「北と南と通路で繋がってたんなら早いんですけどねえー。」
と答えるアッシュに、ローズははた、と訊き返した。
「そういや、何であっちが南だとわかったんだい?」
「曇ってるけど、夕方微かにあっちの雲が赤かったんですー。
あっちが西なんでしょうー?」
「へえ・・・?」
関心するローズに、アッシュはちょっとムッときた。
「いい加減、私の知性を認めてくれませんかねえー?」
「天才と紙一重、って言うけど、そうなのかもねえ。」
「それは兄の方だと思いますー。
私は凡才だけど、一般常識はあるんですー!」
前半は同意するけど、最後の部分はどうだかね。
ローズは腹の中で思った。
玄関ホールまでは、何事もなく進めた。
問題はこっからなんだよね、とローズが思った途端
長身の男性が現れた。
「新相続者! 無知なる未知者!
俺が腕を確かめてやる。
3つ数えたら開始しよう。 3・・・」
ローズの鋏が男の腹に刺さっていた。
倒れ行く男を見て、アッシュが叫んだ。
「卑怯くせえーーーーーーっっっ!!!」
「何がだい?」
男の腹から鋏を引き抜きながら、ローズがアッシュを睨んだ。
「カウントダウンの途中だったのにー。」
「それをご丁寧に待ってどうするんだい?
これは決闘じゃないんだよ?
わけわからん能書きたれるこの男もバカだけど
それをボケッと聞くあんたも相当のバカだね。」
アッシュは恐くて男に近寄れず、遠巻きに訊いた。
「その人、死なないですよねー・・・?」
「死のうが死ぬまいが、そんな事はどうでもいい!
こっちが考えるべきは、戦闘可能かどうかの1点だけさ!」
ローズが怒り始めたので、アッシュは黙り込んだが
先ほどまでのテンションが暗転したかのように、地の底に落ち
恐怖に怯え、膝が震えているのがわかった。
負けたら私もああなる、って事だよね? むっちゃくちゃ痛そう・・・。
即死ならまだ良いけど、中途半端に刺されたらどうしよう。
目前で起こっている出来事は、映画などではよく観ていたけど
それが現実だと認識せざるを得ないのは
男のたてるうめき声が、あまりに苦しそうだからだ。
他人のあんな声、聞いた事がない!
アッシュは耐え切れず、天井を見上げながら
両耳に指を突っ込んで振動させながら、あーあー言った。
ローズはアッシュの受けているショックを理解できた。
自分も初めての時は、このうめき声にビビったものだ。
あの時の自分は、ショックから身動きが取れず
その後何日も食事を採れずに衰弱したものだ。
立ち直れたのは、周囲の冷笑に負けたくなかったからで
それでも数ヶ月して、やっと再び戦えるようになったのに
こいつはその場で自分でどうにかしようと努力をしている。
ローズはアッシュの肩に手を置いて
照れくささを隠すかのように、ぶっきらぼうに言った。
「グレーがいつも言ってた。
『妹は実は俺より凄いんだ。』 って。
確かにあんたは大物かも知れない。」
「へ?」
指を突っ込んで、あーあー言ってたアッシュに
ローズの言葉が聞こえるわけがなかった。
間抜け面して振り向くアッシュに、ローズは激しくイラッとしたが
こらえて、同じセリフを繰り返した。
ここで挫折されたら困るから、とにかくおだてないと。
少々棒読みになったが、ローズの読みは当たり
アッシュの心は木に登りまくった。
「兄がそんな事をー? 私、大物ですかー?
何でそう思うんですかー? 『詳しく』 しても良いですかー?」
あーもう、またわけのわからん事を言い始めた。
バカはおだてやすいのは良いけど、調子に乗るから面倒なんだよねーーー。
ローズは忍耐力をフル発揮しながら言った。
「優れた適応能力があるような気がするんだよ、あんたには。」
「・・・適応能力ですかー。 別に優れてないですけどねー。」
どれだけの大賛辞を期待していたのか
贅沢にもアッシュは、その答にガッカリした。
こいつが真に優れているのは、忘却だろうね。
もう、さっきの戦闘の事を忘れて、ひょこひょこ着いて来ている。
目まぐるしく変わる話題も、それを表しているんだね。
階段を上りながら、ローズはひとり納得した。
4階に着いた。
行き道の敵は1回だったか。
いつもより少ないのは、ハンデが与えられているのか?
玄関ホールを見下ろすローズに、アッシュが声を掛けた。
「ローズさん、ここのドア、開けて良いですかねー?」
「開けちゃダメだ。 ここは居住区、非戦闘区域だよ。」
「あー、やっぱ3~4階でしたかー。
開けちゃダメ、って事は、居住区には主の部屋はないんですねー?」
「そうなるね。」
4階をグルリと一周したら、アッシュの居住区と同じ間取りだった。
ただ、洗濯室はあるが、食堂の場所は娯楽室になっていた。
もしかして北館の4階も、こうなってるんだろうか。
「3階に下りてみましょうー。」
アッシュの言葉に、ローズが左右を確かめたのち階段を下りる。
「ここも居住区ですよねー。」
「そうだね。」
作りは北館の3階と対称になっているようだ。
南端に食堂がある。
「北館在住の私たちでも、ここで食事できますかー?」
「ああ、問題ない。 ちょうどお茶の時間だし何かつまもうかね。」
腕時計の針は、2時50分を指していた。
食堂には、6人の男女が固まって座っていた。
こっちに気付き、静まり返った様子にローズは悟った。
こういう時の話題は、相続者の噂ばかりなんだよね。
自分が護衛の役目ではない時には、ローズもそれに加わっていた。
しかし今は、第三者ではない。
ローズはある種の選民意識のような感覚に浸っていた。
「あー、同じシステムなんですねー。」
そう言いながら、アッシュは冷凍庫の中のアイスを
ディッシャーでゴリゴリ削っていた。
ローズがハムサンドと紅茶を持ってきたのに
アッシュの前にはストロベリーアイスが乗った皿が1枚だけである。
「あんた、今朝ちゃんと飯を食ったのかい?」
「11時ごろに、バタートーストを食べましたー。
基本、1日2食なんですよねー。」
そうは言ったが、アッシュが飲み物やアイスしか摂らない時は
食べないのではなく、食べられないのである。
アッシュは事務的に物事を考える術が身に付いていたが
愚鈍なりにも、人間としての感情は普通にあるわけで
冷徹な脳処理のツケは、体にダイレクトに現れてしまう事に
いつもギリギリまで気付かずにいた。
ストレスに気付けないと、それをより大きく育ててしまう事を
アッシュは今までの人生で、学習できていなかったのである。
続く。
関連記事: ジャンル・やかた 11 09.9.29
ジャンル・やかた 13 09.10.5
コメントを残す