どっかの政治家が、法律で決まってるわけじゃないでしょ?
などと、ほざいていたが、ほんと苛立たしい。
法律は社会生活上、絶対的存在である。
しかし、この法律で決められていないとこに、人間性が出るのだ。
法に定められていない日常の何でもない事、それをどう考えるか
それがモラル、倫理、道徳なのである。
これは、絶対に正しい、という答がなく各々の裁量で決められる。
人は皆、生きていく上で自分なりのルールを持つ。
ここまでは良いけどこうなったらダメ、と、どっかで線引きをしないと
人生がグチャグチャになってしまう。
この自分ルールは重大な事から些少な事まで
身の回りのあらゆる事に適用される。
この線引きがあいまいな人が、“だらしない” のだ。
ものすごく小さいたとえをしよう。
部屋の中に、普段は使わないけど寒い時にはおるひざ掛けを置くとする。
そのひざ掛けを、畳むかグチャグチャに放置するか
ここで既にその人の線引きの感覚が問われる。
グチャグチャに投げやっていて気にならない人は
もう1枚グチャグチャの布があっても気にならないはず。
そうやって、どんどん部屋が散らかっていくのである。
大げさな、と思われるかも知れないが
通りのラクガキ1個を放置していると
しまいにゃ犯罪多発に繋がる、という話もある。
ここで 「大げさな」 と思う人は
線引きがあいまいになっていないか、自問自答すべきである。
生活習慣だけでなく、人間関係でも線引きは重要である。
人と人の間に線引きなど、冷たいように聞こえるかも知れないが
悪い意味ではなく、自分をわきまえる、という事なのだ。
ここまでは甘えても良いけど、こっから先は図々しいな、とか
押し付けになるな、とか、相手と自分の感覚や立場の違いを考慮して
お互いにとって負担にならないよう、付き合う。
こう書くと、やたら難しい事に思えるが
ほとんどの人が、大なり小なりこういう事をやってるはず。
社会では当たり前の礼儀だから、見過ごされているだけであろう。
現に線引きがあいまいな人は、“距離なし” と嫌われる。
自分も他人も一緒くたにされると、迷惑するのは大抵が相手側なのである。
またこういうヤツに限って、迷惑顔をされると
「冷たい」「情がない」 など、相手を一方的に責めて
その被害者ヅラには、腹立たしさが倍増だ。
このように、線引きは人生のすべての部分で必要不可欠である。
どう線引きをするか、の部分が似ていると、倫理観が同じなわけだ。
価値観の違いは、付き合いにはそう支障はないけど
倫理観の面が違うと、ダイレクトに色んな状況に影響し
かなりの困難が生じるので、付き合う上で注意した方が良いと思う。
「法律で決まってるのか」 この言葉を使うヤツは
大抵、薄ぼんやりと自分の非を認めている。
他に返す言葉がないから、こんな妙な事を言い出すので
かなり追い詰められているわけだ。
もし本気でこの言葉を言っているのなら
そいつは線引きのないヤツで、かなり危ない。
線引きのあいまいな人、逆に極端な人は、モラルに欠けるので
関わらない方が、無難な人生を送れる。
私のように、自分を律する線引きで手一杯で
外では全部あとよろー、で他人任せなヤツも
良い迷惑なので、論外なんだがな。
線引き、とても大事だと思う。
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