もう、言葉からして、耽美なイメージがあるんだが
現実生活にこんなものはいらん! と、断言する。
ババアになった今だからこそ、言える事なんで
若いもんは耳をかっぽじいて聞いとけば、良い事もあるかも知れん。
私も何百年前だったか忘れてしもうたが
若かりし頃はチャラチャラしとった。
毎日が普通に来て普通に終わって、何の不都合もなくて
イヤな事があっても、その場をしのげれば後はどうでも良かった。
そういう日々がずっと続くと信じて疑わなかった。
20代も中盤になると、人生のすべてが決まってしまった、と思えた。
自分の道はこの足元の1本に絞られて
努力しても、ちょっと良くなるだけで
そう大して変わらないんだろう、と諦めていた。
かあちゃんの、「まだまだこれからなのよ。」 という言葉も
虚しく聴こえるだけで、到底信じる気分になれなかった。
不幸だったわけではないけど、“決まってしまった” というのが
何だか窮屈に思えて、絶望まではいかないまでも
あーあ、って感じの心境だったんだ。
ところが、あれやこれやと色々あって
すっかりババアになった今になってみると
何かもう、人生えれえな展開になっとって
しかも自分は実は、そんなに苦労してきていなかった
努力もしていなかった、そう気付いてしまった。
その時その時で、すんげえ辛い想いはしてるんだけど
それは感情であって、“苦労” じゃないんだ。
気分が落ち込んで苦しい時は、どうにかしようと
気分転換になるような事をして乗り切ってたけど
それも単なるその場しのぎにしか過ぎなかった。
楽しい事ってのはな、結局は思い出にしかならない。
そういう思い出は、心の支えにはなるけれど
昔を思い出して懐かしむ、なんて情けない。
良い時が若い頃の武勇伝のみで、それを脳内でリピート再生して
昔話ばかりしている年寄りにはなりたくねえと思う。
年を取ってきた時の、本当に役に立つ財産ってのは
頑張って勝ち取ってきたものなのだ。
金銭でも人脈でも地位でも知識でも心の強さでも、何でも良い。
とにかく、これをした! と、胸を張って言える何か。
苦労は買ってでもしろ、という格言があるけど
あれは真理だと、今になってようやくわかった。
“苦労” というのは、切磋琢磨、試行錯誤する事であって
どうにかしよう、と逃れる術を考える事じゃない。
立ち向かおうとする意気込みを言うんだと思う。
まだ若造の分際で、「道は決まった」 とか、ほざいていたけど
ババアになった今でも、いや、ババアになればなるほど
明日がわからなくなってくる。
それは自分ではどうにもならない支障が増えるのが、理由のひとつ。
運動神経が鈍って、1cmの段差につまずくとか
体の節々が痛むとか、今考えてた事を忘れて思い出せないとか
信じられない老化が押し寄せてくる。
明日はどう衰えてるのか、もうすんげえ恐怖でなあ。
ある意味、自分が日々生まれ変わっている気分さ。 劣化コピーで。
そんでもういっちょの理由は、死が現実のものとして目の前に控える事。
周囲で死に事が多くなってきて、それが自分の年齢と近くなってくる。
でもただポックリ死ぬのなら、まだ幸せだと言える。
ボケただの、寝たきりだの、介護だの
リアルに自分の近い将来の問題として、ドーンと鎮座されちゃう。
自分がどう死ぬかわからない不安、それが一番恐いものだったとは!
ほんと、20代なんて人間としてまだまだ新品である。
そういう時に財産を貯えておかんと、後々絶対に後悔する。
何度も言うが、ジジイババアになってからが長いんだよ。
車や家電は10年20年使えるのに、翌年には型落ちだろ。
人生もそうだと思われているけど、実は古ぼけてからが勝負時なんだ。
長い生の中、若い時なんて一瞬なんだよ。
その体が動く時に、何か頑張っておくべきなんだ。
私は今、後悔しているよ。
無条件に安泰を信じて、無意識に刹那を感じて退屈していた事を。
切羽詰ってなかった、あの頃の自分を。
だけど今こうやって、年取った年取った、と言っているけど
多分、平均寿命から考えても、あと数十年は生きる。
その時になって、再び過去の自分を恥じたくないから
まだ頭や体が動く今の内に
私は刹那を捨てて、未来を考えて生きていこうと努力したい。
若い頃のチャラチャラ仲間なんかも
皆グチグチ嘆いてはいるけど、何とか少しずつでも備えていってる。
過去に生きる人として、生を終えたくない年寄りは
あがいてあがいて必死こいている。
たとえ未来がどうなろうと、今の頑張りは無じゃないと信じて。
どうやら人生は、何度でもやり直せるみたいなんだ。
道も1本道じゃなかったんだ。
自分が気付けば、だけどな。
年を取るのが恐いかも知れないけど
年を取った自分は、また違う自分になっている。
恐がってた昔の自分を鼻で笑えるほどに。
それも自分次第のようだが、きっとそうなれると信じる。
一生苦労する気になれば、人生、結構良いもののような気がする。
刹那
Comments
“刹那” への7件のフィードバック
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そうだ!熟すと熟したなりにいいものだぞw
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「苦労は買ってでもしろ」 あれは苦労を売る人が創った言葉だとききましたが(爆) ただ「楽しむ」のと「楽をする」は全然意味が違うと思います。 「楽」しようとするとしたくないことまですることになるし、一度しかない人生がただの退屈な死へのカウントダウンになってしまう気がします。楽しいほうへ、幸あるほうへ、いきたいですね(・∀・)ノ
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お久しぶりです。
ふと、このブログを思い出し、この記事を見ました。
人生は何が起こるかわかんないですよね。
バブルの時は、60歳まで同じ会社で働けて
そこそこの人生を送る的な発想が若者にはあったけど
今は、100年に1度の不景気で先が見えない時代。
生活格差から教育格差につながっていたり。
20歳の時、もう大学は行けないとあきらめていたけど
後悔してます。 -
月見バーガー・・・、おめえの言葉は
とてもニュアンスが違う気がするんだが
私の気のせいだろうか?wカム、売る側の言葉ーーー?
ああ・・・、そういえばさ
「悪いようにはしない」 ってのも
悪いようにする可能性があるヤツしか言わないよな。
善人はそうやって騙されるわけだな。
(つまり私は善人だと言いたいわけだ)何かさ、最近、楽しくなくても
不幸でも良いんじゃないか?
とまで、思ってきているんだ。
これが良い事なのか悪い事なのか
自分でも不安になるよ。
“脂が抜けきっている” みたいでさ。あーみんZ、よくぞ思い出してくれた!
ありがとうーーー。人生、本当に “決まる” ってないよな。
ふと気付けば、どんでん返しされてるし。
諦めた過去の自分を、どつき回したいよ・・・。ところで今、不景気って言ってるじゃん。
でも私の周囲では、その兆候がないんだよ。もしかして、これは誰かの作戦じゃないか
とすら思えるんだ。
不安を煽るだけ煽って、民衆を騙して
思い通りに何かを進めたいヤツがいるんじゃないか?
他国はともかく日本、本当に不景気なのか? -
とりあえず地方ではまだバブル崩壊の
亀裂さえ埋めきれていない感が
ありますね。場所によりますが…
上乗せしても埋まらないし,その上昨今の
不況の煽りもあって就職自体が厳しい感じです。
知り合いがいる短大では
学部の新卒40人に対して
求人10名程度(しかも希望する職種とは限らない)
だとか。なんてこった(ρへ;`)
貴重な時間は大切に踏み締めて
生きていきたいものですが,
それでもこの足場の悪さだけは
どうにかならないものかなあ…
なんて思っちゃいます。仕事がなきゃそりゃあ過疎ますよね^^;
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ふかいなぁ(゚゚)
これからの大学生活
つらくなったらこの記事
みかえしたいです(^^ -
miu、田舎はずっと衰退し続けてるよね。
今、若い人が戻って頑張ってるとか言うけど
正直言うと、真に優秀な人は都会に行く。
ものすげえドグラも都会に行く。田舎って、下の上あたりの能力で回している気がする。
不況は、優秀な人材を田舎に引き戻すチャンスかも。
なのに下の上は、それに気付かないどころか
「俺らのやりかたがある」 とか言って拒むんだよねえ。
(注: 一部の地域の例だ)ぽにこ、大学の生活はすべて
就職のために、を第一に考えた方が良いぞ。昔は大学生活の事を、“働く前の4年間の猶予期間”
とか言っているバカ学生が多かったけど
それでもクラブ活動もバイトも全部
就職先で有利になるものばかりをやってたヤツもいた。
早めに狙いを絞っていたヤツが最後に笑っていたなあ。とは言え、私らは日本をダメにした世代に入っている。
今の若いヤツらの苦労は、私らのせいだよ。
ほんとごめんな。
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