アッシュの連日の、ジョブ・ゴーゴー演説の成果なのか
館の生産量は予定よりも大幅に上がった。
村に作られた館直売所の売れ行きも好調で
ハムの他、チーズなどの乳製品にも力を入れようとしている最中である。
デイジーの熱心な和食研究と、アッシュの単純な味覚の賜物か
和食を知らない人にも容易に受け入れられる、安い日本食コーナーも
当初の予想を覆して好評で、街から食べに来る人も増えた。
長老会でのアッシュの評価は、これによって不動のものとなったが
同時に生意気さという、マイナス要素も目立ってきていた。
熱心にやってるかと思えば、もう何もかもどうでも良い、と
厭世観をむき出しにしたりと、不安定な心理状態が続いていたのだ。
デイジーやアリッサの、大丈夫ですか? という心配にも
いや、単なる更年期だし、と流し
本人が気付いていない分、余計に始末に負えなかった。
正に、“荒れている” と周囲には映っていたのだが
やるべき事はやっているし、まあ、そのぐらい
という温情で、アッシュの無体は見逃されていた。
アッシュが診察を受ける気になったのは
ゲームを長時間続ける気力がなくなってきたためだった。
目も疲れやすくなったし、こんなこっちゃLV上げもままならない。
何か一発、元気が出る薬 (注: 合法薬) を処方してもらおう
という、軽々しいドーピング気分であった。
診療所は5階にある。
リハビリ室や、トレーニングルームと同じ階である。
アッシュがアリッサの整体以外の用事で、この階に来る事は滅多にない。
何せ、“主様” だから、フリーパスである。
アッシュはノコノコと受付けに入っていった。
「あっ、主様!」
受付けってのは、何でどこもこんなに美人揃いなんだろう
アッシュは久々に気を良くして、カウンターに両肘を突き
美人受付け嬢に診察をお願いした。
美人受付け嬢が、医師のところに行った時に
開けっ放しにされたドアから、事務室の棚が見えた。
何となく眺めていたら、Rの項目にROSEというインデックスがある。
アッシュは、護衛の制止を振り切って
カウンターを乗り越え、そのカルテを取った。
ローズだって、医者にかかる事ぐらいあったはず。
カルテがあっても不思議じゃないのだが、何故かそれを見逃せない。
開いたカルテの中には、“krebs” と書いてあり
アッシュには、その単語だけが読めた。
看護士の友人に習った事があるのだ。
ローズの名前を見ただけで、頭の両脇の血が引いているのに
更にその単語がある事で、心臓をドスッと拳でどつかれた感覚になった。
うう・・・、とその場にうずくまったアッシュの異常に
護衛がカウンターを乗り越え、アッシュを抱きかかえて叫んだ。
「誰かーーー、早く来てくれーーーーーーーーーー!!!!!!」
慌ててやってきた医師と受付け嬢は、アッシュの様子に驚いた。
胸を押さえながら息が吸えない状態で、もがき苦しんでいる。
何かの発作だと思われた。
酸素マスクを着けるも状態が変わらず、心音が異常に高鳴っている。
護衛が、これです、と差し出したカルテを見て
医師はこの状態がヒステリーによるものだと判断した。
が、何かの疾患の可能性も捨てきれない。
医師は救急車の手配を決断した。
街の長老会管轄の病院に入院したアッシュは
一応、主だという事で、頭の先からつまさきにいたるまで
全身をくまなく検査された。
顔と頭が飛びぬけて悪い以外は、さしたる異常は見られなかった。
貧血と栄養失調ぐらいである。
今回の症状は精神的なものだと診断された。
長老会のメンバーが見舞いにやってきたが
アッシュは鎮静剤を点滴され眠り続けていて、反応はなかった。
主の入院という事で、館にも長老会にも衝撃が走り
病院長まで呼び出されて、どうするかを何日も会議で話し合われたが
病気は何ひとつない、という事で
アッシュは眠ったまま、館に移送される事になった。
長老会管轄とは言え、人の多い街の病院では警備面に不安があるからである。
アッシュの寝室は改築中だったので、客用寝室に運ばれた。
デイジーは、アッシュの側を離れなかった。
眠る時は、部屋のソファーで寝た。
アッシュはそのまま、何日も何日も眠り続けた。
ジジイが主代行として、館に滞在する事になった。
館は過去にないぐらいに、揺れに揺れていた。
講堂に住人たちが折を見ては訪れ
主のいない演壇に向かって、自己流の祈りを捧げていた。
続く。
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