初夜の事は、まったく記憶にない。
しかし、そんな事はもはや問題ではなかった。
王子は毎晩イキテレラの寝室へと来るのである。
たとえ伽をしなくとも、隣で眠る。
イキテレラの体を抱きしめて。
それで王子は心地良く眠れているようだが
イキテレラの方は、まったく眠れない。
何日経っても、この男に慣れないのである。
わたくしを守ってくださると仰るのなら
この方がこの世からいなくなってくれるのが一番早いのに・・・。
しかし、この願いは絶対に叶わない。
妊娠を待つ身としては、薬も酒も厳禁で
寝不足が続き、どうなるかと心配していた矢先に
懐妊したと知らされた時は、心の底からホッとした。
これでわたくしの役目は終わる。
身ごもったイキテレラは、何よりも優先された。
王子の訪問も、つわりを理由に断る事ができた。
周囲にいるのは、物静かな侍女だけ。
時々王妃さまが気遣って見舞ってくださる。
イキテレラは、城で初めての安らかな時間を過ごす事ができた。
これで産まれてくるのが、世継ぎであれば・・・。
イキテレラの祈りが届いたのか、無事に健康な男児を出産した。
出産直後のイキテレラの元に、王子がやってきた。
「我が愛する妃よ、世継ぎを与えてくれた事を心より感謝します。」
王子の瞳からこぼれた涙が、イキテレラの頬に落ちた。
王子は疲れきってもうろうとしているイキテレラに口付けた。
育児は主に乳母がした。
イキテレラは時々授乳をするだけである。
王家というのは、このようなものなのかしら?
子を産んだというのに、母親になった実感もない。
わたくしは何をして過ごせばよろしいの?
日々をボンヤリと過ごすイキテレラに、侍女が王子の訪問を告げる。
産後の体調不良を理由に、ずっと避けてきたのだけれど
今日はイキテレラの実家に関して話があるらしいので
断るわけにはいかない。
イキテレラは渋々と腰を上げた。
ドアを開けると、王子は窓際に立っていた。
日光を受けるその姿を見て、イキテレラは思った。
あら、このお方の髪の色は黄土色ですのね。
王子は久しぶりに会う妻を、眩しそうに見つめた。
「具合はいかがですか?」
「ええ・・・、まだ少し・・・。」
「そのようなあなたをわずらわせるのは、心苦しいのですが
あなたのご実家の事で、少し相談がありましてね。」
イキテレラの実家は、婚礼の際に多額の支度金を王家から渡された。
そして皇太子妃の実家として、月々の “恩給” も貰っているのだ。
「問題は、この他にちょくちょく金銭の工面に来られるのですよ。
あなたのお父上がね。」
「まあ、何てみっともない・・・。」
イキテレラは、目を伏せて深く溜め息をついた。
「お義母さまとお義姉さまたちは、少し贅沢なんですの・・・。
うちは貴族とは言え、決して裕福ではありませんのに・・・。」
イキテレラの嘆きに、王子は慌てて言いつくろった。
「ああ、いえ、違います。
お金の事は構わないのです。
ただ、その、義理の母娘たちはあなたをいじめていたくせに
皇太子妃になったあなたにタカって、という噂が街でたっていましてね。
それは外聞が悪いんじゃないか、と大臣たちが心配するのですよ。」
「ああ・・・、そういう事でしたの・・・。」
イキテレラは、目を上げて窓の外に広がる空を見た。
しばらく無言で流れる雲を見つめていたけれど
実はイキテレラは、実家の問題については何も考えていなかった。
ただ、隣に立っている大きな男性の存在感を
明るい昼間の太陽の光で打ち消そうとしていたのである。
何故このお方は、こうも私の顔を凝視するのかしら・・・
イキテレラはイライラさせられていた。
決して王子の方を見ようとはしなかったが
王子の仕草は、目の端でわかる。
「わたくしの実家の事は、すべてお任せいたしますわ。
嫁いだ身としては、口を出す権利はございません。」
イキテレラが窓に背を向けた時に、王子が言った。
「あなたとこのように会話をするのは初めてですね。」
「そうですか? ではわたくしはこれで・・・。」
王子の言葉に妙な色気を感じて、ゾッとして
ドアへと急ぐイキテレラを、王子が背後から抱きしめる。
「このような日中から何を考えていらっしゃるのです!」
「あなたを間近に見て我慢できるほど、私は忍耐強くはないんですよ。」
まさか王子という身分の者に、“無礼者” と言えるわけもない。
王子がイキテレラのドレスを整えながら、激情を詫びた時にも
王子が部屋を出て行って、侍女が迎えに来た時にも
イキテレラは無言で平静を装った。
夫が妻に性行為をするのは、当然の事なのである。
続く
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