具合が悪い人への接し方

この記事で言う、“具合の悪い人” とは
もう、平たく言えば、“心を病んでいる人” 限定なんだが
そこらへんのデリカシーが私には、まったくないので
とにかく逃げ回る表現をしているわけだ。
 
 
この前まで、ものすごく調子が悪かった。
愚鈍なんで、頭が悪いのか心が悪いのか
自分ではちょっと量りかねていた。
 
しかし、いつもは2時間待たせの5分診察なマイ主治医が
30分ぐらい掛けて、カウンセリングをしてくれるのである。
(主治医、精神科と何の関係もない内科医)
 
金ヅルであるはずの一患者に過ぎなかったのに
いつの間にこんなに愛されちゃったんか、とても不思議だが
この主治医の愛に応えないヤツは人間じゃない。
反論もせずに、大人しく聞いているよ。
 
何でこの人だけ、こんなに診察が長いの? と
他の患者さんに白い目で見られるのが、ほんと辛いが。
 
 
さて、賢明な皆はわかっただろう。
私がまたしても失礼な事を書いている事に。
 
上の 『反論もせずに』 ← これ。
何でこんな事を言うかっちゅうと、マイ主治医は
多分、心が悪くなった経験のない健康な人だと思うからだ。
 
主治医の私を想って語る言葉には
「自分の生きる意味を」「楽しいと思える事を」「自分を変えて」
こういう単語が山ほど出てきて、内心ビキビキくるんだよ。
病状の重いヤツだったら、さぞかし追い詰められる事だろう。
皆、心がおかしくなったら専門医に行けよ?
 
 
では何故私は専門医に行かないのか?
それは、軽くて慣れていて愛だからだ。
説明が面倒なんで、これで悟れ。
 
今回は、心の病に掛かった人の心理の一例を語りたいんだよ。
出来るだけ客観的に分析して、ヒントになるようにするけど
全員に当てはまるわけじゃない、ってのが大前提で頼む。
 
 
心が悪くなった人は、突然なるわけじゃない。
それまでに、何かおかしいな、こんなんじゃダメだ
などなど、試行錯誤をしているはず。
 
“はず” と書いたのは、鈍感な私は、いつも突然なるからだ。
きっと気付いてはいるんだけど、ギリギリまで無視してるっぽい。
・・・面倒なんだよ、心ってやつは・・・。
 
でも他の人は、早くから自分の異変に気付いて
どうにかしよう、とあがいている場合が多いと思うんだな。
 
つまり悪くなった時点で、そいつはそれまでに
もんのすごーーーーーーーーく、頑張ってきているはず。
「悪い」 と口に出す時は、頑張って頑張って努力して努力して
ああ・・・もう疲れた・・・、もう頑張らなくて良い?
という状態なのだ。
 
 
そういうヤツに、「頑張れ」「前向きに」 などと言うのは、酷すぎる。
その頑張りが、間違った方向でも、足りなくても
そいつはそいつなりに頑張ったのには違いないからだ。
 
言われた側はな、「おめえに何がわかる?」「じゃあ私と代わってよ」
と内心、思っている。
励ましてくれている人に、こんな逆切れのような事を言うと
人格評価が下がるから、黙っているけど
心の中は血の雨が降っているに違いない。
 
 
と言うか、病気中はどんな言葉も届かない。
これさ、当人も気付いていないと思うけど
心に響くなら、治っている途中なんだよ。
 
悪い真っ最中は、心、動かざること山の如しなんだ。
宗教で言う解脱とか、もしかして心の病いかもな。
 
だから、病人にいらん事を言うて余計な傷を付けるより
愛している事だけ覚えてもらっといて、あと放置で良いと思う。
 
何を不可能な事をサラリと言ってるんだか、と怒られそうだけど
心の不具合、面倒くせえぞー?
心のお花畑がいつのまにか地雷原になっとるし
え? これで何で? って事で、グサグサくるし
本人にも手に負えないものを、他人がどうにか出来るわけがねえ。
 
 
要するに、調子が悪い私が専門医に行かずに
マイ主治医に励まされ続けているのは、その愛が嬉しいからなんだよ。
ほっほっほ、さすが私、最初と見事に繋げられたわ!
 
まあ、正直に言えば、今歯科にも通ってるし
眼科も定期的に通わないとダメだし
これ以上時間と金を掛けられないんで、精神科になど行ってられない
ってのもあるんだが、やっぱり愛の存在が一番なんだな。
そんで愛を感じられるのは、私の症状が軽いからだろう。
 
重い軽いも判断は難しいんで、好き勝手に言わせてもらったけど
本当に具合が悪い人は、私のこのノンキな言い草の
300倍ぐらいグッチャグチャになってると思うんで、そこも要注意。
 
 
こういう事って、もう広く知られているんで
わざわざ言う必要もない、と思っていたんだけど
現実、言われてるんで、私、頑張れ頑張れ、しかも主治医に・・・。
その鬱憤晴らしのために、この記事を書いたのさ。
 
愛だとわかるが、私程度でも、それ、辛いぞおおおおおおお!!!
 
 
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Comments

“具合が悪い人への接し方” への11件のフィードバック

  1. miuのアバター
    miu

    なんとなく、頑張れ!よりも
    ファイト!の方がライトに受け止められる気がする
    今日この頃のmiuです。(逆に英語圏の人はプレッシャーを感じそうな表現ですよねコレ)

    己をギリギリまで追い込む、他人に厳しく自分にはもっと厳しいタイプの人が
    自分の周囲に多いのでどう声をかけたものかいつも悩みます。
    「休める時に休んでね」と言われて素直に休める人は
    そもそも限界まで自分を追い込まないんですよね…。
    私は自主的に休みますが。

    人生の具体的な手の抜き方は大学で初めて学んだと思います。
    が、追い詰められ型の人は既に形成され終わっている時期だし、
    かといって小中高で教えると全員が全力で手抜きライフを送りだすのは目に見えているような…

    結局、人によりけりなんですよね。
    う~ん、難問。

  2. とおりすがりのアバター
    とおりすがり

    専門医に「君の考え方じゃ、この先生きていけないよ」と言われました。今だから平気だけど、当時は、やっぱり生きてないほうがいいんだなぁって思いました。

  3. イーライのアバター
    イーライ

    ミネラルファンデでひっかかって楽しく読ませていただいてます。
    ブログ楽しいの久しぶり

    私は昔、鬱を5年かかって治しました。
    周囲の人という人を振り回しまくりまくりました
    今になって私が過去鬱を治した経緯を見込んで?、友達を・パートナーを支えたいと相談されることがありますが
    思うのは、与えるべきものはなく(届かないか負担になる)、励ましは逆効果に過ぎず、他人が他人の心の病を治してやろうというのは
    自分の生活全て犠牲にする気でも無い限り無理、甚だおこがましくも感じます

    そういう私が病む人に接した時、とにかく意見せず、相手の言葉尻から、最初は深みに触れぬよう他愛ない質問を繰り返してます
    ああだったんだこうだったんだへぇそうだったの?
    なめとんか、思われても治せるわけじゃなし
    こちらにできることは、静受と傾聴のみ
    触れて治らず傷付くだけなら、日々静に送る一ページに徹するのみかと思ってます
    何が正しいかわかりませんが。

  4. あしゅのアバター
    あしゅ

    miu、“手を抜く” を嫌う風潮もあるしね・・・。
    と言うか、自分を追い込んでいる事に
    本当に気付いていないと思う。

    私は気付いたはずだったけど
    無意識にやってしまう。
    自分を追い込むのが楽しいんじゃないか、と思う・・・。

    サドマゾ的な感じじゃなく
    ゼロか全部か、みたいなギャンブル的な快感?
    よくわからないけど、そういうのがあるような・・・。

    とおりすがり、それ、専門医の言いたい事は
    「おめえには、生きるのは無理。」
    「そんな考え方で生きるのは許されない。」 じゃなくて
    「そういう考え方をしていたら
     この先、傷付いて行き詰ってしまうから
     自分を大事にするためにも、考え方を見直そうよ。」
    みたいな意味だったんじゃないか?

    言葉が足らないで誤解されるヤツ
    いるんだよねー。 ・・・すみません・・・。

    イーライ、病気になった時に
    周囲にはいらん事言うな、するな、と思うのに
    「理解してほしい!」 と
    期待する気持ちが強くならなかったか?
    健康な時よりも、他人に依存したくなる、みたいな。

    私は過去の病気中に、一番苦労したのが
    自分のこの依存心理に気付いて
    それを禁止する事だったような気がする。
    私の場合は、依存すると症状が悪くなってたし。

    私に相談にくる人には
    “他人にはわかってもらえない” という
    覚悟をするように言ってしまう。
    これが良いのかわからないけど・・・。

    とりあえず、主治医、どうもありがとう。
    “理解できないけど愛してる” というその気持ちは
    うちの母親で経験済みだから
    素直にありがたく受け取れるよ。
    また励ましてねっ (はぁと)

  5. ニャーのアバター
    ニャー

    あしゅさんの記事、イーライさんのコメント、いろいろなことを思いながら読ませてもらいました。

    ある親戚が亡くなってから、ずっと心にある疑問です。

    頼られても支えてあげられない人に、頼られたら、どうしたらいいんだろう?

    包帯を巻いてあげられないのなら、傷に触れるべきではない、と思います。
    でも、その傷を全開にして、もたれかかられたら、どうすればいいの?

    話を聞く事も、限界を超えたら、対応しきれなくなってきます。そもそも、私自身、やっとの事で生きているような人間だし・・。

    包帯を巻けないのなら、その人の側をうろつくべきではなかったと思います。私はそれをやってしまい、かえってその人を傷つけてしまいました。この展開はだめだと思いながら、抜け出せませんでした。

    私はどうすればよかったのだろうと、ずっと考えていますが、未だ答えがみつけられずにいます。
    よかったらご意見聞かせてください。

  6. けるのアバター
    ける

    ニャー様

    初めまして。

    詳しい事情はよくわかりませぬが、

    ・包帯を巻ける人を探す
    ・私は包帯を巻けない人なんだ、と伝える

    は、アリかも知れません。

    だけど、
    具体的な助け(包帯)をしてもらえないとしても、
    なんていうか…

    ただ、ニャーさんにもたれかかりたかった、
    そして、もたれかかることができた。

    でももたれかかり方があんま良くなくて、
    傷口が余計に広がってしまった。

    …そういう可能性もあるんじゃないですか?

    いや、なんていうかですね。

    人間なんてすれ違いの連続、
    母の愛を調教としか受け取れなかった私のように
    だから、母が生きているうちに真の感謝ができなかったように

    もしかしたら、そのご親戚も貴方も
    『あんなことされなければ』『もっとこうしていれば』と
    悔いや恨みを持っているかも知れない。

    だけど…、その…、
    見えてる現実が、必ずしも真実とは限らないような気がするんですよね。
    『私のせいで傷を広げてしまった!』→本当にそうか?

    うまく表現できなくて失礼…

    ただ、人間とはすれちがうものだし、
    ご親戚のことは、『どうすればよかったか』の答えを得ても(おそらく真の答えは無いでしょうが)、
    今から、それを実行することはできません。

    もし、未来に、似たような状況になったらどうしたら良いか、
    という話であれば、

    このコメントの一番最初に書いたこと、
    このくらいしか私は思い付かないですね。

    長々と失礼しました。
    あしゅさんじゃないのに横からすみません。

    ける

  7. あしゅのアバター
    あしゅ

    ける、ありがとう。
    そうやって他の人に意見を言ってくれるのが
    本当に嬉しい。
    それが管理人ぷらちッや私が目指してた雰囲気なんだ。

    ニャー、けるの言う事が真の正解だと思う。
    でも私流の考えは、もっとユルいんだ。

    支えようとして支えられなくて放り出しても良い。
    そこに悪意がなければ。

    苦しんでいる人がいて、助けを求めてて
    周囲がどうにかしよう、として出来なくても
    それをどう解釈するかは、苦しんでる人の自由。

    結局は自分の判断で、幸せにも不幸にもなれる
    ってのは、こういう事だと思うんだ。

    ニャーは助けてあげたかった、
    その気持ちだけで良いんじゃないか?
    悔いを残すのも、ニャーの自由だけど
    自分にとって、希望を残す悔やみ方をしてほしいよ。

    私なら、脳内危険センサーが鳴ったら全無視。
    でも少しでも可能性があると思ったら
    大丈夫?大丈夫? と、周囲をウロつく。

    中途半端に手を出して、お互いに傷付いて
    こんな事はせんに限る、と他のヤツに教訓を残す。
    これが私のパターンだ。

    結構、何人もの心をボロボロにするけど
    それが人生かな、と開き直ってるよ。

    傷つけるのをビビって、周囲に誰も来ないより
    誰かがいてくれた方が絶対に良い。
    それがたとえ、私のような能無しでもな。

    良い子はマネしないでね。
    ロクな死に方をしないぞっ ☆

  8. ニャーのアバター
    ニャー

    けるさん、あしゅさん、ありがとう。涙なしには読めなかった・・。

    その方が身体の病で亡くなった日の晩、こんな事がありました。
    私は霊感のようなもの(?)がないと思って生きてきたので、未だにどう解釈してよいのやら分からないのですが・・“こんなことを考える人もいる”程度に聞いて下さい。

    その晩、葬儀に出る準備で洗濯物を干していたら、突然太い竿がバキッと折れました。そして、その瞬間、その人のいたずらっぽい笑い声が耳元で聞こえたような気がしました。なんていうか、「ざまーみろ」みたいな感じではなくて、ティンカーベルのいたずら(?)みたいな、「クスクスッ」っていう感じの。

    で、何だかその瞬間、私は自分のしてきた事を思い知らされた気がしました。
    支えになると思っている物を当てにして、重みを加えたら、それが折れたという事象が、そのまま私の行動(私が周りをうろつく→うろつくから頼りたくなる→だけど頼ると、その重みを受け止めきれない)に当てはまる気がして。
    考えすぎ? ただの偶然? 単なる竿の劣化? …かもしれません。
    でも、その人の“苦しかった”という思いが、感じられました。恨みや責めの念というよりも、ただただ“苦しかった”と。
    ただでさえ、死の病を抱え苦しい人を、私は更に苦しめてしまったんだと、その時ようやくはっきりと自覚しました。(それまでは、この展開は駄目だという認識はあったものの、そこまでの自覚はありませんでした。)

    それ以来、どうすればよかったかを考えあぐね、同じ所をグルグルと回ってました。次に似たような状況になった時、どうしたら同じように傷つけずにすむか、その方向性が知りたかったんです。それが、今私にできる事のひとつだと思ったから。でも、同じ所を渦のように回るばかりでしたが、お二人のおかげで、渦から抜け出せた気がします。
    暖かいコメント、本当に本当にありがとう。

  9. あしゅのアバター
    あしゅ

    その竿は、偶然に折れたんじゃない。
    ニャーの人生のために折れたんだと思う。
    そういうのが、人生の転機のひとつじゃないかな。

    ただ、その現象にどういう意味を付けるのかは
    ニャー次第だ。
    自分に必要な意味を付ければ良いと思う。

    苦しむのは、悪い事じゃないよ。
    誰にとっても。

    とりあえず、竿はステンレスにしろ。

  10. ニャーのアバター
    ニャー

    あしゅさん、ありがとう。

    竿の素材は吟味すべし、ですね(笑)。

    ところで、心の健康つながりで、あしゅさんの不眠、良くなってますか?
    そう願ってますが、もし続いているようなら、ホント、騙されたと思って、落語試してみて~。

  11. あしゅのアバター
    あしゅ

    不眠、タバコをやめてから少し良くなったよ!
    いやあ、これは意外だったーーー。

    私の不眠は、高校ぐらいから既にあって
    今はそれプラス運動不足が原因だと思ってたんだけど
    まさか喫煙が原因のひとつとは・・・。

    落語はごめん、聴いてないんだ。
    音楽も聴いてない。
    何ひとつ実行してない。

    実行してみようか、という気になるのも
    その準備を忘れずに出来る、というのも
    自分に合う合わないの条件になるんかもなあ。

    でも選択肢のひとつになっているんで
    可能性は広がっているんだよ。
    だから、「もー、あんなに言ったのに!」
    と怒らないでくれ。
    ほんと、すいません。

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