下の中だと自己判断しているツラ構えの私だが
外見のコンプレックスはない。
ナイスバディなので、体の方は不満こそあれ
深刻な悩みはないのは当然だが
まごう事なき超ド級ブサイクなのに
何故、顔にコンプレックスがないのか?
それは私の、今は亡き母親が理由である。
私のかあちゃんは、若い頃に難病にかかって
腰が曲がり、背骨が岩のようにボッコリと飛び出していた。
和服を着ていたら帯で隠れるのだが、洋服だとはっきりわかるほど。
そして病気前は160cmあった身長も
病気後は折れ曲がった腰のせいで、・・・なんぼだろう?
並ぶと、私 (165cm) の肘の高さぐらいだったから
もしかすると1mぐらいしかなかったかも知れない。
そんでその病気のせいで、流産死産を繰り返し
年老いてから、やっと私を授かった。
(ほんと申し訳ないと思う。
そんな待ち望んだ子がこんな娘で。
でも親のDNAもかなり傷んでたはずだから、お互い様で良いよな?)
年老いての子と、曲がった腰で
一緒にいると、知らない人が 「おばあさま?」 と訊くのだ。
思春期ぐらいの自意識過剰自分被害者の年頃の時など
こういう親を 恥ずかしい、と思ってもしょうがない。
だけど私は、それを思った事は一度もなかった。
それは私が上質なガキだったからではなく
そういう神経すらない、ポヤンバカガキだったのと
かあちゃんの態度のお陰である。
かあちゃんは、“おばあさん”“おばあちゃん” と
呼ばれた事は一度もなかった。
“おばあさま” なのだ。
そしてそう呼ばれた時は、ほほほ と笑って流し
訊かれた時は、「いえ、遅くにできた子ですのよ。」
と、堂々と答えていた。
「金持ちケンカせずよ」 と、私には言っていた。
と言うのも、かあちゃんの実家は
ものすごい没落もしたのだが、昔ものすごい富豪で
かあちゃんの若い頃は、専属使用人が何人もいたほどらしい。
そういう生まれ育ちをして
「贅沢なんて、やりつくしたわ。」 サラッとそう言い
貧乏になろうと、外見が老婆になろうと
いつまでもお姫様の心を持つかあちゃんは、多分私の誇りだったのだろう。
今までこういう事を考えた事もないので
当時の気持ちは推理でしかないが。
一度かあちゃんに訊いた事がある。
「そんな体で人前に出て恥ずかしくないの?」
イヤミでも悪口でもなく、純粋な疑問として
こんなひどい質問をする 成 人 し た 最低なバカ娘に
かあちゃんは、ほほほ と笑い、ナチュラルに答えてくれた。
「世の中には色んな人がいるから。」
この答があるから、この母親だったから
私は自分の難のある顔を、可愛いとすら思えるのである。
“五体満足” とか言うのは、ほんと卑怯で
そんな説教など、聞きたくもねえ。
大多数の平均な一市民の、ごく一般的な悩みを
そんなおおごとと同列にせんでくれ、という性格なんだ、私は。
だから、かあちゃんが難病だったから、と答える私は卑怯者。
だけどこれも、かあちゃんが教えてくれた事だ。
有意義に利用せんと、かあちゃん浮かばれんぜ。
んで、親切心で皆にも伝えてるわけだ。
自分ら、1個のデメリットもなしに、“特殊な経験” の話を聞けるんだぞ。
ありがたい、と素直に喜んどけば良い。
周囲にこういう人がいないと、わからないだろうけど
持って生まれたものや、自分ではどうしようもない事は
悩む必要はない、と私が断言しちゃるよ。
ただし努力はせえ。
人間、外見なんだから。
外見だけど、“つくり” じゃなく “演出”。
ファッション、ヘア、メイク、立ち居振る舞い
そして一番大事なのが、気合いだ。
私なんかさ、下の中だというのに
有無を言わせぬ何様オーラで
たまーに 「美しい」 とまで言われるんだぜ。
5年に1回ぐらい。
これを言うと、「そこまでブスじゃないんじゃ?」
「本当は美人なんじゃ?」 と思われるけど
アホ! よく考えろ。
下じゃなく、中クラスであったら
私ならものすごーーーく、自画自賛しとるはずだろ?
それをせずに、ブサイクと認めてるのは本当にブサイクだからで
しかもそれを恥じていないからなんだ。
顔のつくりに悩まされているヤツ、
そこは、気にする必要は1個もない。
問題はおめえの、それを恥じる心なんだよ。
勘違いも痛々しいけど、人に迷惑をかけなければ
そんぐらい強気に思ってるぐらいが、ちょうど良いぞ。
自分の持ち物を呪うな、祝え。
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外見コンプレックス
Comments
“外見コンプレックス” への6件のフィードバック
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はじめまして。
背中が曲がってしまう難病があるんですね。
それは怖そうだなと思いました。お母様、大変だったんですね。
顔のコンプレックスとも
うまく付き合ってるようで、すごいと思いました。またきますね。
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こんばんは、初めまして あき と申します。
いつもあしゅさんのブログこっそり拝見させていただいてました♪あしゅさんのお母様、心に余裕がある素敵な女性ですね!
私もそんな素敵な女性になりたいですっ -
金持ち喧嘩せず
本当そうだと思います。心に余裕のある人程穏やかですよね~
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今日もこんにちは
微妙に関係ない話かもしれないけど、「私、自分のこことここが呪わしい程嫌」と身体的な悩みを打ち明けられると、そこが可愛く思えてきます。
おかしいのだけど、鮫肌で嫌と言う友人の全身でその鮫肌が一番愛おしくなるんです一方世間的に上品で美人とされる別の友人はかえってアラが目立つんです、美人は期待されるし私の僻みだと思ってたけど、またそれはちょっとピンとこない
ターミナルケアをやっていましたが、どんなポンコツでも(自称。自虐ではなく達観し過ぎて愉快に思えるそう。足ないのになんてこたねえやって)愛される人間はいて、健康で若くとも愛されない(またはそう感じる)人間もいる。
愛される愛されないより、感じる受け皿の問題でもある気がします
例え勘違いでも愛されてる実感のある人は大抵愛くるしい
愛くるしい人に会うと愛くるしい気持ちになって自分まで、はた目愛くるしくなっちゃてんじゃねえ?って事ありますよね
収拾つかなくなったけど、姿形に捉われすぎる人は感じる心が貧相になってる気がする
勿論私も心当たりあるけれど -
>>持って生まれたものや、自分ではどうしようもない事は悩む必要はない、と私が断言しちゃるよ。
自分の場合、家族は取り換えようがなくて、苦しい。
自分ではどうしようもない。
悩みつくしてきたけど、
もしかしたら悩む必要はないのかもしれない、と思えた。少し気持ちが楽になった。 -
ファンデ大好き@みゆき、ようこそーーー!
うん、“脊椎カリエス” って病名だったと思う。
本当に背骨がゴリゴリに折れ曲がってたんだ。子供心に、ものすごく恐かったよー。
自分もならないか、不安でしょうがなかった。
仰向けに寝れないし、大変そうだったよ。あき、ようこそーーー!
読んでくれて、ありがとうー。待て待て待て待て、良く取り過ぎだぞ。
うちのかあちゃんは、すんごい高飛車で
差別意識もある、何様だったんだよ。
私にそれが遺伝してる。でもな、脳内王さまになる、って大事だと思うんだ。
私は今すんげえ貧乏だけど、心の貧乏ではない。
・・・はず。のん、「心は裕福」 とか、貧乏人な私の負け惜しみだけど
金持ちは心の余裕が凄いのは、事実だと思う。それがまた心の余裕って、むっちゃ外見ににじみ出る。
こういう不公平って、現実にたくさんあるんだよな。イーライ、それ、わかる気がする。
そういう事を、ここんところ考えてたんだ。
まとまりにくいから、記事にしにくくて困っている。美と愛って、複雑な関係があるよね。
“美しい” のと “美しく見える” のは
違うようでいて、関係がある。
多くの美は、愛が作るような気がする。うーん、どうにかまとめて記事にしてみよう。
その内。なつ、なつはどういう事情かわからんので
私のうっぷんを吐き出させてくれ。まさか、この私が家族で悩む事になるとはーーー!
向こうにも言い分があるのが、また腹立たしい。
しかもそれがエコ辛み!
あああああああ、だからエコとか嫌いなんだよ!!!家族は空気のような存在、ってのが普通らしいから
私も家族を空気扱いしてやるわ!・・・でも、後々の事を想像すると恐い・・・。
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